「終わりなき危機 君はグローバリゼーションの真実を見たか」水野和夫著 日本経済新聞出版社 ― 2012/01/01 08:00
いつも、新たな世界観を提示してくれる水野氏の最新刊。
今回は、大航海時代と現代とのアナロジーを提示する壮大な作業から始まる。
現代文明は、安価な石油によって成り立ってきた。
これが、石油ショックをきっかけに交易条件の悪化から、製造業の変動費率が上昇し、これをきっかけに固定費である人件費の変動費化による削減への動きとなる。
そして、グローバリズムと新興国の台頭の動きのすべてが、利子率革命につながっているという。
この状態で成長が止まると、企業も政府も「成長戦略」の名のもとに政策の総動員が行われる。
ところが現実には成長とはまったく正反対の現象が起きている。日経平均株価は、2008年10月になんと50年移動平均線を下回ってしまいこれが今も下回ったままである。
また、グローバリゼーションは社会福祉国家の解体と中産階級の崩壊を引き起こす。現実に世界中で中産階級の没落が起きている。
しかし今や新興国の出現によって、資源価格の高騰が続き、採算性は急激に悪化し、先進国はデフレ、新興国はインフレに悩まされている。
そして恐ろしいことに、市場原理主義を推し進めた結果、企業は利潤率を極大化しようとして限界労働分配率がゼロに見買って低下していく。
ここで、恐ろしい試算が出てくる。
今後原油価格が1バレル当たり10ドルずつ上がると予測すると、企業のROEを15%に保つためには、2028年度の人件費は2010年度を100として、46.3となるという。
すなわち先進国の賃金水準は新興国の賃金水準と等しいところまで低下するという。
そしてこれは、16世紀の先進国イタリアの実質賃金の50%の低下や英国のピーク時の24%までの低下と呼応する。
また、先進国の消費社会を支えてきた中間層の多くが没落しつつある姿は、共通に見られる現象であり、正社員の非正規化の流れはこの傾向をますます加速させるという。
まさに、「16世紀のスペインの貧困の理由はその富自体にある」のである。
著者は、もはや新興国も含めて先進国並みのライフスタイルは望めず、資源も枯渇しつつある今、経済成長のない投資と貯蓄の均衡した世界を目指すべきであるというのが著者の結論である。
現代のアナロジーである大航海時代には、新大陸という資源が世界を救ったが、もはや我々に残された新大陸は存在しない。
金融という架空の富にしろ、新製品の氾濫という戦略にしろ、もはや現代文明が立ちゆかなくなっているのは誰の目にも明らかである。
3.11を経て、ありあまる電気に見られるような消費社会が幻想であったことが明らかになった今、われわれはライフスタイルを根本から見つめ直すとともに、旧来の価値観を捨て去る必要があると考えさせられた。
冷酷な分析であるが、先進国すべてが成長率の低下に苦しみ、新興国が原油高・資源高に苦しんでいる今、おそらく著者の予測は正しい。
現代文明が、膨大な石油と資源の浪費のうえに成り立っているにすぎない砂上の楼閣であることを改めて痛感する。
「幸福の研究」デレック・ボック著 東洋経済新報社 ― 2012/01/05 22:21
現代の世界では長く経済の成長こそが幸福をもたらすと考えられ、事実多くの国では経済成長を政策の主眼に置くことが当然のように行われてきた。
ところが、米国では2008年の金融危機、日本では2010年の東日本大震災と福島第一原発事故をきっかけに、必ずしも経済成長を求めて物質的な豊かさを得ることが、国民の幸福とは結びつかないのではないかという考え方が広まりつつあるように思う。
本書はまさにこのタイミングで出された経済成長論への反論である。
すなわち、米国の国民への調査結果からは、幸福度の平均水準は50年間ほとんど変わっていない。財をなすことに重きを置く人は平均以上に不幸や失望を感じやすい傾向にある。
日本と同様米国でも、「経済成長」が望ましい目標への手段から目標それ自体に変わってしまっているという。
ただ、本書でも触れられているが、幸福とは相対的な概念であり、これを政策的な目標の第一とするには多くの困難を伴う。
たとえば、先進国の貧困と定義されている人たちもテレビ、冷蔵庫、自動車、携帯電話などたとえば1910年代の所得上位10%層以外のすべてを上回る生活水準で暮らしているという。
本書では幸福は、非常に重要な目標であるが、政府の目標の一つにすぎないというのが結論のようである。
なお、本書はアメリカの政策について多くを割いているが、年金にしろ医療にしろ教育にしろ多くの問題を抱えていることがわかる。
また、興味深い議論として、多くの余暇を持った人たちは読書などには時間を割かずにテレビを見ることに時間を振り向ける傾向にあるという。
政治教育についての議論も興味深い。
アメリカでも公民の授業はテキストを読んでプリントの問題を解くことであり、市民がいかに政治に参加するかとか身近な事柄と政治がどのように関係しているのかといったことの学習に欠けるという。
ダニエル・カーネマンをはじめとするここ最近の幸福研究と成長至上主義に代わる政策のあり方の方向性もみえてくる。
「パブリック」ジェフ・ジャービス著 NHK出版 ― 2012/01/08 15:03
フェイスブックに代表される実名での交流サイトが力を持ちつつある。実際に、アラブの春とも呼ばれる現象もこれらのツールが大きな力となったという。
また、一方でウィキリークスのような、政府の機密情報が次々と暴露されていくツールには米国をはじめ多くの政府が危惧の念を抱き、実際に敵対的な行動に出たのは記憶に新しい。
世界におけるこれらの動きは、本書がテーマとする「パブリック」という概念を、改めて浮き彫りにする。
本書は、ネット社会における「パブリック」と「プライベート」について、グーテンベルクの印刷機の発明になぞらえて多角的に分析し検討し読者に考えさせる。
そして、われわれに対しても政府に対しても「守るべき情報とは一体何か」と訴えかけ、原則は公開とすればそこから得られるものはとてつもなく大きいと我々を手招きする。
著者のいう「プライバシーの原則」は大いに参考になるのでぜひ本書を紐解いてほしい。
もうひとつ、マスとパブリックの比較も興味深い。
この点についての著者の意見も明快である。
本書におけるマスコミへの著者の議論には賛同したい。
そして、本書で提示される「スーパー・パブリック・カンパニー」こそ、これからの企業のあり方であるのは間違いがない。
そして、政府も全く同じである。
「新しい世界史へ」羽田正著 岩波新書 ― 2012/01/08 15:19
本書は、表題のとおり、今までの日本の世界史には色々な問題があるとして、「新たな世界史」のフレームワークを提言するものである。
その意味するところはよくわかる。
この国の世界史の問題点は大きく二つであるとする。
一つは、ヨーロッパと非ヨーロッパという二項対立的な概念。
そして、もう一つは時系列的な切り口である。
その上で、著者が提言するのは3つの視点である。
すなわち、(1)ある時期の集団を比較して世界の見取り図を描く、
(2)時系列史にこだわらない、
(3)横につなぐ歴史を意識する。
著者がこのような世界史を提言するきっかけは、ジャレドダイアモンドの歴史観と著者の主たる研究分野であるイスラム世界への独特のとらえ方であるという。
私も、ダイアモンドの人種(類人猿さえも)にとらわれない水平感覚には大いに刺激を受けたし、著者が披露しているバタヴィアでのオランダ植民地時代への嫌悪感は大航海時時代の歴史書でもよく触れられている。
むしろ、日本のヨーロッパ文化への憧景ともいえる独特な感覚こそが、異文化を積極的に受け入れてそれをうまく消化してきたのではないかとも思う。
いずれにせよ、著者の提示する「新しい世界史」の作業はこれからである。
「税と格差社会」林宏昭著 日本経済新聞社 ― 2012/01/08 15:29
本書は、日本における税制について格差とのかかわりからひとつひとつ検証し考察を進めている。
統計データが豊富で、新たな見方もいろいろと示してくれる。
たとえば
・平均民間給与は、97年をピークに減少を続けている。
・日本の財政支出の経済規模に対するウェイトは、アメリカに次いで低い。さらに、税負担に社会保険料負担を加えたものとなるとアメリカよりも低くOECD加盟国の中では最も低い。
・二人世帯で一人がフルタイム、もう一人が収入103万円であれば、基礎控除相当分は3倍適用される。
一方で、どちらか一人が所得を得ている夫婦とそれぞれが納税者である夫婦では、同じ給与収入であれば前者の方が税額が多くなる。
・過去二度の消費税引き上げは、いずれも所得税減税とセットで行われた。したがって、税収に対してはフラットである。
などなど
また、今話題の給付付き税額控除についても手厳しい。マイナスの所得税すなわち現金給付を行うためには、プラスの所得税の税額を上げなければいけないとする。
同様に、子ども手当や生活保護などの現金支給は、同額の支出でより大きな給付となる保育などの公共サービスとは対極にあるとする。
以上を総合すれば、著者は現行の税制で色々と設けられている各種控除をなくし、所得税を中心とした再分配をおこなうことが、格差社会には有効という主張のように思える。
社会全体の給与水準が切り下がっている中で、所得税中心の増税については、議論が必要だが、国際的に見ても極端に少ない負担のうえにこの国の赤字は成り立っていることがよくわかる。
「東京電力失敗の本質」橘川武郎著 東洋経済新報社 ― 2012/01/10 20:41
本書は、以前から電力業界の経営史について研究をしていた著者が、電力業界の歴史を踏まえて福島第一原発事故後の電力業界の問題点と改革の方向性について検討を加えたものである。
電力会社の創世期は競争の時代であったが、戦時中の発送電については国家管理の時代を経て、
戦後は、GHQ体制のもとで9分割されたものであるが、当初は安定した電力供給と低廉な電力料金の両立が成立した。
これが石油ショックをきっかけとして、国の関与が強まるとともに各社間の競争意識は薄れていく。
その後の電力自由化論議についても、政府が原発推進に舵を切ることにより、東京電力中心の業界体質へと進んできた。
・この弊害が、今回の原発事故につながるというものである。
すなわち、東電側は国の設けた基準通りにやっているとし、一方国は東電にすべての責任を負わせようとする。
結果として責任の所在はあいまいなまま、賠償が行われていく。
以上を踏まえて、著者は地域分割をなくして電力市場を完全自由化する。原発は分離して国が管理するとする一方、戦時中の発送電分離の失敗から今議論されているような発送配電の分離には反対の立場をとる。
そして、東電はなくても問題はない、代わりに受け皿となる電力会社が現れればいい、とする。
本書での、各種電源の組み合わせによる系統運用という考え方は参考になる。著者のいうとおり、原発は徐々に減らしていくとともにその間再生可能エネルギーのノウハウを蓄積しつつその比重を高めていく戦略が妥当なところかもしれない。
いずれにせよ、もはや東電はいらない。
「欲望を生み出す社会」スーザン・ストラッサー著 東洋経済新報社 ― 2012/01/14 12:30
資本主義の象徴ともいうべきアメリカの大量生産大量消費社会がいかにして形作られていったのか、詳細かつ緻密に分析した大作。
驚くべきことに、19世紀末から20世紀初頭にかけて、既に現代のビジネスモデルがほぼ出来上がり、それに伴う様々な問題もほぼ出尽くしていた事実がここにある。
すなわち、
製造業が作り出した新製品たとえばクリスコというラードの代用品を綿花から開発したP&Gの販促活動。
他社と差別化するためのブランド戦略の数々。
市場セグメントを行い、製品系列を細分化する戦略。
販促のために編み出された景品戦略。
百貨店やチェーンストア、通信販売店の出現。特に、1900年頃のシアーズはすでに受注から48時間以内に商品発送が行えるシステムを構築していたという。
スタンプクーポン券の出現。
1916年のセルフサービス店の出現。
偽物食品や詐欺的医薬品への規制。
メーカーによる小売価格維持制と量販店との戦い。
などなど現代社会そのものである。
また、本書の随所に掲載されている当時の商品ラベルや広告などの数々の写真は、レトロな雰囲気を持っているとともに、現代の商品にも通じるところがあって興味深い。
ついでながら、コカコ-ラの起源が頭痛薬であり製品の作り替えの好例としてあげられていたというのは初めて知ったし、またセルフサービスのスーパーマーケットという業態は、大恐慌時代の発明といわれていたが、本書ではそれよりも早く現れているのも興味深かった。
いずれにせよ、市場はそこにあるのではなく、メーカーによって創造され大規模流通業者によって供給されるものであるという概念がここに作られ、アメリカ型資本主義社会が始まった。
そして、約100年がたち、環境問題や資源の枯渇、それに金融の暴走といった様々なきしみが至る所に現れつつある。
そろそろ、「作られた市場」とは決別するべき時が近づいていると感じる。
「カール・ポランニー」若森みどり著 NTT出版 ― 2012/01/15 15:19
経済学者であり社会学者であったポランニーの生涯とその著作についての研究書。
その生涯を、思想形成期であったハンガリー時代、社会科学者として社会主義に傾倒していったウィーン時代、名著「大転換」を執筆したイギリス時代、そして第二次大戦後その思想の集大成を築き上げていったアメリカ時代に分けて論じている。
注目すべきは、イギリス時代以降である。
この時期に今日の新自由主義に通じる経済的自由主義への批判的観察すなわち「市場経済の拡大はその危険に対抗する社会の自己防衛を引き起こす」というものであり、人間の労働や自然環境である土地、そして交換手段である貨幣のいずれも商品として流通するという市場社会への批判をしている。
この経済的自由主義の崩壊から、社会主義とファシズムが出現したという。
そして、晩年における思想である。
そこでは、原子力の産業利用を懸念し、マスコミニュケーションと大量生産、世論における同調主義的圧力といった新たな全体主義的傾向の出現とそこでの人間の自由を考察する。
現代社会は、資本主義も社会主義も自由や生きがいといった規範よりも効率第一主義にあり、高水準の生産に対応する需要をつくるために広告・宣伝を通じて欲求を人為的に作り出しているという観察をしている。
すなわち、経済成長それ自体が目的となり、効率そのものが目的でる社会となってしまっていると懸念し、何より原子力の産業利用を人間の自由と人類の存続を危険に陥れるものだと反対していたことは注目に値する。
本書で紹介されるポランニーの最晩年の言葉が印象深い。
「経済を人間的共同体の目的のための手段として…産業文明を乗り越える道筋を実現してゆく」としている。
今、フリードマンに象徴される新自由主義の終焉を前に、これからの新たな社会モデルがここにある。
「世界記録はどこまで伸びるのか」ジョン・ブレンカス著 河出書房新社 ― 2012/01/19 22:15
本書は、100メートル走、重量上げ、水泳、ゴルフボールの飛距離、バスケットボールのダンクシュート、スタティック・アブネアという息を止める競技、ホームランの飛距離、そしてマラソンという8つのスポーツについて、それ以上乗り越えられない究極の限界(パーフェクション・ポイント)がどのレベルなのかを科学的に探るものである。
そして各章にある記録達成の瞬間を想定した未来の挿話も、描写が迫真的で小説のように読ませる出来である。
また記録だけではなくスポーツにまつわる様々な課題~ドーピング、スポンサー、観客を集めるための恣意的な基準変更、競泳水着など記録向上のための道具の進化など、も取り上げており深く考えさせられる本に仕上がっている。
特に興味深く読めたのは、100メートル走とスタティック・アブネアである。
100メートル走の限界は、ずばり9秒の壁を破った8秒99とする。その予測の積み上げ方が、緻密で科学的である。あのボルトが打ち立てた世界記録9秒58をベースに、スタートの合図への反応、スターティングブロックを蹴る、トップスピードまで加速する、ゴールまで減速せずスピードを維持するという場面ごとに最高の状態を想定して、組み立てていく過程が読ませる。
それから、長時間息を止めるというスタティック・アブネアという常人では不可能な(世界記録はなんと11分30秒という)競技なども紹介されている。ここでは生理学が詳細に取り上げられ脳細胞が死なないぎりぎりの瞬間まで酸素消費量を削減する方法が書かれている。
そして、マラソンの章では、人間の精神力が科学的裏付けを上回ることさえあるとする言葉が印象深い。
記録だけではなく、人間の運動能力にかかる科学的知識とスポーツ全般への興味をかき立てられる好著である。
今年のロンドンオリンピックがまた楽しめそうである。
「動物が幸せを感じるとき」テンプル・グランディン著 NHK出版 ― 2012/01/22 08:23
自閉症の動物学者として有名な著者によるフィールドワークに基づいた動物行動学とでも言うべき本。
犬、猫、馬、牛、鶏、動物園の動物、そして野生動物に至るまで、動物の立場に立って人間がどのように接したらよいのかを数多くの事例を示して明らかにしている。
ペットだけではなく家畜にまで動物側の感情を理解して、具体的に教えてくれるので、非常に実践的でもある。
このため、従来の視点にはない新たな見方が随所に示されて、興味深く読むことができた。
たとえば 犬については、家族単位で暮らすオオカミの観察から優位を維持するための第1位のオスなどいないというもの。つまり犬の飼い主は群れのリーダーになるようにと教えているのは誤りとしている。また、犬は遺伝的に子供のオオカミであり、遊びと探索が飼い犬には必須。犬種によってオオカミの行動が残っている数が異なり、雑種になるとオオカミの形質が強く現れ、特に臆病になるという。
また、パブロフの犬がベルの音を聞いたときによだれをたらすのは、餌を連想するのではなく、それを期待する時間、すなわち報酬が得られるという探索システムが働くという考え方も新鮮である。
野生動物の章では、サケを食べるクマが豊かな森の維持に役だっているとか、アフリカなどの大草原を維持しているのは野生動物がいるからであるという。
そして、特に注目しているのは動物たちの「探索」システムを活用するという手法である。
また、後半では牛、豚、鶏などの畜産業界の動物の扱い方を批判し、虐待を与えない飼育法や畜舎の提案を多くしている。そしてなぜ家畜のことをここまで考えているのかについて、「共生」という考え方を披露する。つまり、人間は動物に餌と棲家を与えその代わりに食料をいただくというものである。
机上で考えるのではなく、実際に現場で観察して作り上げるというフィールドワークをベースとした著者の鋭い観察眼と、人間と動物を対等に扱う考え方に大きな共感を覚えた。
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