「10万個の子宮」村中璃子著 平凡社 ― 2018/06/07 08:44
ここのところマスコミ報道に偏りがあると感じることが多い。とかくセンセーショナルな話題が大きく取り上げられる。
子宮頸がんワクチンに関する報道などはその最たるものであることが、本書を読むとよくわかる。
本書は、子宮頸がんワクチンによるとされる被害が科学的根拠に乏しいにもかかわらず、その健康被害を訴える声が相次ぎ、事実上の接種停止状態に追い込まれた現状について、多くの問題点を指摘する書籍である。
すなわち、被害者とされた少女たちの症状の多くは、この年齢の少女たちに見られる症例で、「偽発作」と呼ばれる症状であると言う。
また、統計的に有為なデータはなく、これをHANSと名付ける医者たちからは脳機能の説明とそれに基づく仮説だけが語られる。
決定的なのは、名古屋市の調査結果である。これによれば、子宮頸がんワクチンが薬害を引き起こしていることを示すエビデンスは何一つ示されない。
また本書の多くは、これを薬害とする教授の示す発表の誤りや捏造を示し、その事実をしっかりと、相手に投げかけているところに多くのページを割いている。
同時にマスコミ報道の問題点や厚生労働省の対応も指摘する。
その上で、イギリスにおけるMMRワクチンについての薬害デマによる「ウェイクフィールド事件」を取り上げ、創られた薬害が駆逐されていった過程を示している。
そして、日本ではほとんど報道されていないが、WHOは日本へ子宮頸がんワクチンの導入への強いメッセージを3回出している。
三度目の声明はこうである。
「ワクチンを適切に導入した国では若い女性の前癌病変が約50%減少したのとは対照的に、…1995年から2005年で約3.4%増加した日本の子宮頸がんの死亡率は、2005年から2015年には5.9%増加し、増加傾向は今後15歳から44歳で顕著となるだろう。」
「電力と政治」上川龍之進著 勁草書房 ― 2018/06/05 09:09
政治学の立場から原発事故以降の政治の対応を時系列に辿ることにより、原発政策がなぜ変わることができないのか、深く切り込んだ好著。
本書においては、特に終章「時間のなかの電力・エネルギー政策」が秀逸である。
すなわち、まず福島第一原発事故のタイミングに注目する。
それは、民主党が政権を取っていたということであり、その影響をいくつかあげている。まずもともと電力会社と深い関係を築いて原発を推進してきた自民党が、事故の時点で野党であったことがその後の政治過程に重大な影響をもたらした。このため危機管理体制の不備や事故対応の不備まで民主党に責任追及の矛先が向けられた。
また、仮に自民党政権であった場合、 政府の東電への対応がさらに甘いものになっていた可能性があるし、さらに、独立性の高い原子力規制委員会が設置されることはなかった可能性があるという。
さらに、電力システム改革についてもこのタイミングが、結果として民主党政権だったために、電力システム改革が打ち出され、実行されていったという。
そして、原子力発電の政策放置が、結果として今後原発の新増設は住民の反対により困難を極め、さらに電力自由化が進み、原発の新設は割に合わなくなる。結果として、遅くとも泊原発が運転60年を迎える2069年には、政権の意図に反して原発ゼロが実現すると予測する。 これが最も現実的な原発ゼロ政策であると著者は結論づけている。
実に日本的な政策実現の方法である。
「シリアの秘密図書館」デルフィーヌ・ミヌーイ著 東京創元社 ― 2018/06/04 18:10
本書は、シリアの反政府軍とされた町ダラヤで政府軍の攻撃を受けながら瓦礫から本を集めた若者が、ある建物の地下に秘密図書館を作っていたという記録である。
著者は、シリアに行くことはできなかったが、インターネットで現地の若者とのやりとりを通じてこの本を書いた。
アサド政権の厳しい検閲のため、それまでこの町には図書館がなかった。
2011年のアラブの春の反乱で、若者たちはとても紳士的にデモを行った。それでも、この町はアサド軍によって包囲され、爆撃された。
2013年末、著者の取材した若者アフマドは、崩れ落ちた家の下の本を少しづつ集めて、公共の図書館を作ろうと動き出す。その数1万5千冊。一つ一つの本に番号と所有者の名前を書き入れた。
ここの図書館で、戦争前には読書が好きでなかった若者たちに人気のある本は、デモクラシーについて書かれている本だという。ここでは、読書は反逆の行為、すなわち長い間奪われてきた自由を確認する行為である。
次第にアサド政権の包囲網が厳しくなり、化学兵器も使用される。
そして必要な物資はほぼ入手困難になっていく。
やがてインターネットによりPDFで入手してA41枚に4ページにして印刷して、回し読みするようになるが、最も人気のあった本がコヴィーの「7つの習慣」であったという。この本は、自己啓発の本であるが、ダラヤの若者たちにとっては生きる希望を与えたという。
2016年9月には、ダラヤの町から住民全員が強制退去になる。
著者が取材した青年アフマドはこう答えている。
「これほど自分が自由だと感じたことはない。誰にも奪われない記憶を持っているからです。」
そして
「街を破壊することはできるかもしれない。でも考えを破壊することはできない。」
どのような環境下でも本という存在は人々に多くの知識や勇気を与えることを教えてくれる。
改めて、本が人々に与える影響の大きさを感じた。
「神経免疫学革命」ミハル・シュワルツ、アナット・ロンドン著 早川書房 ― 2018/05/19 09:16
本書は表題のとおり、うつ病、脊髄損傷、緑内障、アルツハイマー病、ALSなど脳や神経系の病氣や怪我が免疫系を高める方法によって治療できる可能性があるという驚きの研究成果がいくつも出て来る衝撃的な本である。
著者は、まず免疫系を外部から侵入して脅威となった病原体から体を守るための仕組みだけではなく、体のメンテナンスと防御における役割に注目し、脳や神経系も例外ではないとする。
まずは老化。著者はマウスを使った実験で老化による認知機能を骨髄移植により高めることに成功している。認知機能を保つ上で、免疫系が重要であるとし、瞑想、運動、社会との結びつきの維持、学び、脳を鍛えることを推奨している。
続いてうつ。持続的なストレスが免疫機能を低下させているとし、生まれ持った免疫系の力を高めるのに、免疫力を高める食べ物(魚介類、植物性油、緑黄色野菜、ナッツ類など)や運動を推奨している。
そして驚きは脊髄損傷の治療である。脊髄損傷の患者に傷の治癒に関わる免疫細胞であるマクロファージを注入したところ、臨床的に有意とされる運動感覚機能が回復したという。
さらに緑内障。これは、眼の神経細胞が徐々に死んでいき失明に至る病気だが、眼圧だけではなく眼の中のグルタミン酸濃度が高まり眼の神経にダメージを与えており、神経保護物質が緑内障の治療に重要な方向性の一つとなっているとする。そして、具体的にt細胞に基づくワクチンを接種してニューロンの死を減らす方法を提案している。
アルツハイマーやALSも免疫系の力を高めることにより改善の可能性を述べている。
まだ研究段階の治療方法が多いものの、既存の常識を覆す免疫系という新たな視点からの画期的な治療方法を数多く提示している本書は、多くの患者にとっても希望の光となる。今後のこの分野の研究の進展に期待したい。
「大予測次に来るキーテクノロジー」城田真琴著 日本経済新聞出版社 ― 2018/05/13 07:43
最新の技術動向を紹介し、そのメリットデメリットも考察しながら近未来を展望する本。よく耳にするテーマが多いが、本書の魅力はアメリカを中心とした具体例が豊富に紹介されている点にある。
では、興味を惹かれたところをいくつかあげる。
「第1章人工知能はホワイトカラー業務をこなせるか」 において、米国の裁判所や刑務所で活用されているコンパスと呼ばれるソフトウェアは、被告人が将来再び犯罪に走る可能性を数値化して提示するものであるが、その後の追跡調査において人種による誤検知率が高いことが判明。AIにはブラックボックス化という問題が付きまとうと警告する。
また、「第2章自動運転で激変する自動車業界の未来」では、すでにテスラでは、ソフトウェアの無線アップデートによって部分的な自動運転を可能にすることが行われており、将来的に完全自動運転化も、同様にソフトウェアの更新によって行われるようになる可能性があるという。
一方で、自動運転技術が進化すればするほど、運転手はそれに依存してしまい、悲惨な事故を招く恐れがあると警告している。
さらに、第3章音声操作はインターフェースの覇権を握るか」では、ユーザーのプリバシーに対して懸念の声もあり、実際に犯罪捜査に活用された事例を挙げている。
また、近未来的な技術として、飲み込めるセンサーで服薬管理を行うデジタルメディスンなども紹介されている。
少し前まではSFに過ぎなかったようなものまで、現実化されてきていることに驚きを覚える。
このような近未来の話になると、日本の姿がほとんど見えてこないのは寂しい。
「ゲノムで社会の謎を解く」ダルトン・コリー、ジェイソン・フレッチャー著 作品社 ― 2018/05/12 08:45
本書は、社会学の立場から遺伝学との関連を述べたユニークなアプローチをしたものである。
本書の起点となる考え方は、クリスパーに見られるように遺伝子操作が容易になっていくと(著者はオーダーメイド医療と名付けている)、社会にはどのような影響があるのか、ということである。
その意味で、エピローグにある100年後の未来を想定した社会の姿が参考になる。
この世界では、体外受精により作られた胚32個の遺伝子から、病気、身長、IQなどを予測し、親がどれにするか選択できる。
ガンは遺伝子改変によって治療できるようになり、遺伝子組み換えにより食糧増産や主要作物の栄養価も改善され、遺伝子型による結婚相手を探すマッチングが行われ、学校の入学選考も遺伝子スクリーニングによって行われる。この世界ではIQの最大化が最も重視される。
本書の前半では、すでに進む社会的不平等化、国家間の経済格差の固定化などとの関連について検討を加える。
多くはまだ答えを見つけられてはいないものの、急速に進む遺伝子革命によるこれからの社会への影響の大きさを考えたとき、本書が提示する問題は重要であることがよくわかる。
「近代日本一五〇年」山本義隆著 岩波新書 ― 2018/05/11 10:18
明治以来の日本の科学技術のキャッチアップから破綻に至るまでを、数多くの文献によってたどっている。新書ながら、多くの知見に富んでおり教えられるところが多い上に、著者独自の歴史観が随所に示され、考えさせる本となっている。
以下、印象に残った箇所を抜粋する。
「欧米の科学と技術が本格的に学ばれるようになったのは、1842年に中国がアヘン戦争で英国に敗れた直後からである。当時、欧米列強の艦隊の日本沿岸への接近が頻発していたことに加えて、強国だと思われていた清朝中国が近代兵器を装備した英国軍隊にあえなく敗北したことは、日本の支配層に軍事力の優秀さを印象付けるとともに多大なる危機感を与えることになった。」
「西欧の技術を科学技術と捉えた明治日本は、そのことで科学を技術のためのもの、いうならば技術形成の妙法と矮小化することになったが、逆に技術に対しては過剰に合理的なそして過度に協力有効なものとして受け止め、受け入れることになった。」
「福沢自身、その過大なる科学技術幻想に囚われていたのであり、その幻想は以後150年にわたって日本を呪縛することになる。」
「まさにその絶妙のタイミングで日本は西欧科学の移植を始めた。このことが次の時代つまり20世紀初頭の…世界に足跡を残しうるだけの先端的な研究が生まれることになる背景であった。」
「物理学の場合と同様に、技術の場合も日本が比較的短時間で西欧技術の習得と移転に成功した理由の一つにはやはりそのタイミングの良さがある。…蒸気と電気の使用によるエネルギー革命が欧米で起こってから明治維新までせいぜい半世紀、追いつくことのギリギリ可能な時間差であった。」
「生産設備の稼働率を上げるための女性や幼年者の2時間交代の深夜労働は、産業革命期の英国にもなかった。日本綿糸の競争力の基礎的条件は、アジア的低賃金と西洋の最先端技術の結合にあった。」
「日清日露戦争により満州の鉄と石炭を確保し、ようやく製鉄製鋼・造船・機械工業が発展する条件を確保し、官営八幡製鐵と民営釜石製鉄所でも鉄鋼一貫生産が軌道に乗り、さらに朝鮮を植民地として獲得し、日本が帝国主義国家となったこの時点で、日本は同時に産業革命を終了した。」
「第一次大戦によって科学技術と技術開発は国家の重要な機能とみなされるようになった。その目的において軍事の比重が格段に増していった。」
「欧米に比べて大きく立ち遅れていた日本の自動車産業の成長を促したのは市場原理ではなく軍事的要因であった。」
「もともとは欧米資本主義の経済活動の中から生み出された科学技術研究は、戦時下の日本の総力戦体制のもとで国家の機能と一体化していった。」
「第二次世界大戦の過程で引き起こされた社会体制の巨大な編成替え(電力・鉄道などの国有化、健康保険そして中央集権的官僚機構)が戦後日本社会の骨格をなすべき主要な要素の一つとしてそのまま保持された。」
「気象事業の一元化にせよ、電力の国家管理にせよ、食糧管理制度や健康保険制度の改正にせよ、軍と官僚機構による総力戦体制はそれなりに合理的精神に導かれていたのである。」
「実際戦時下のレーダー開発が戦後のトランジスタやダイオードを基礎とした電気通信分野発展の基礎となったことはよく知られている。電気産業では東芝、日立、松下はいずれも戦時下の軍需生産によって大きく成長した企業である。ソニーにしても母体はほぼ全面的に海軍技術研究所の人脈である。」
「日本は、高度成長とともに世界有数の技術大国になったが、同時に軍事技術の先進国にして潜在的軍事大国となっていった。」
「国家主義者にとって原爆保有は超大国の証であり、核技術と原子力発電の保有はそれに次ぐ一流国家のステータスシンボルなのであった。」
「東海村の施設と海外委託で生成された日本のプルトニウム保有量は現在すでに四十八トンに達する。かくへいきを1こつくるのにヒツヨウナプルトニウムは8キログラムとされており、日本は実に8000発ものプルトニウム爆弾を作るだけの材料を保有していることになる。」
「ウランの可採年数は、最大でも200年程度である。そのたかだか200年の原発使用で人間の近寄れない夥しい数の廃炉と、10万年単位で保管の必要な放射性廃棄物が何世代にもわたる子孫に大量に残されるのだとすればそれは子孫に対する配信というべきであろう。」
この明治150年の節目に、福島原発事故をきっかけにして、日本を支配してきた科学技術幻想の破綻を見る。ここに明治以来一貫して国家目的にしてきた時代の大きな一区切りがある。
なお、日露戦争で使用された無線装置の電源はGSバッテリーであったが、京都の鍛冶屋が起業した島津製作所の2代目島津源蔵が作った蓄電池だったという話と、乾電池は時計の修理工で東京物理学校の付属職工だった屋井先蔵が明治20年に作ったものが世界初であったという事実は興味深く当時の職人の技術水準の高さを感じる。
また、本書は朝鮮半島における巨大コンビナート建設と巨大ダム建設についても触れている。短期間でこれだけの施設を作るために植民地で圧倒的な権力を握っていた軍の力が強大だったとはいえかなりの犠牲を強いたことは事実であろう。
ナチスドイツが科学者とともに開発した兵器が多くの犠牲を生み、同様に科学者を使って原爆を開発したアメリカも広島長崎に悲劇をもたらしたのと全く同じ構造がこの日本にもあったことがよくわかる上に、戦後の大企業もその路線の上に成り立っていたことが明らかになっている。福島の事故が、これらの科学技術の終焉を表しているという著者の主張は明治150年という節目にあって象徴的である。
日本の科学技術史を振り返るのに最適な好著である。
「1868 明治が始まった年への旅」加来耕三著 時事通信社 ― 2018/05/08 11:25
本書は、明治元年である1868年という激動の1年をほぼ当時の日付に沿って、庶民の様子や、幕府と新政府の動きを追うことによって、まるでこの時代に自分がタイムスリップしたかのような錯覚まで起こさせる秀逸な本である。
なんといっても、日付順でたどることによって、個別の知識に過ぎなかったあの時代の理解が、一つの線のように結ばれて、明治という時代がいかに形作られていったのか、非常によくわかる。 また、下部にある注釈で、本文中に出てくる人物やなどより詳細に理解が深まるようになっている。
以下、私の知識不足もあるが、勉強となったところを抜粋する。
「大政奉還は、薩摩長州両藩による討幕のプレッシャーをかわすために慶喜が打って出た捨て身の一手であった。」
「この状況を覆したのが、薩長など討幕派が仕掛けた王政復古の大号令であった。」
「新政府は、改めて幕府がこれまで締結してきた条約の順守を各国に通告した。…アヘン戦争で清がイギリスに大敗したことや西欧の軍事力についての情報は、日本の指導者層にも正確に伝わっていた。西欧列強と戦うこと自体が無謀なことと認識されており、攘夷を叫んでいたのは外国人に強いアレルギーを持つ下級の公家や武士など国政に責任を持たない人々だけだった。」
「神戸中心部の欧米列強による占拠は、事態が悪化すれば香港やマカオのように割譲に結びついていたかもしれない。この神戸事件を豊富な国際広報の知識を駆使して穏便に収めたのが薩摩藩士の寺島宗則だった。」
「長きにわたり京都守護職の重責を担いながら朝敵の汚名を着せられたしまった会津藩士たちの嘆きは、やがて怒りへと変わり、会津若松楼上、そして落城への悲劇とつながった。」
「ところが慶喜は、新政府への徹底抗戦を訴える松平容保と松平定敬の二人に江戸城への搭乗禁止を命じたため容保は会津へ、定敬はわずか100人ほどの藩士を伴って越後柏崎を目指した。…定敬はその後、函館へ向かう榎本武揚の旧幕府艦隊に合流する。」
「新政府による神仏判然令により、一部の国学者や神職の中から仏教そのものを排除する動きが現れ、寺院の統廃合や破却などを求める過激な運動へと発展する。奈良県では、興福寺がその標的となった。…道路拡張を理由に土塀を撤去し、境内の石を橋の材料に転用、金堂は警察の屯所とされ、破壊した仏像を巻きにして団をとる警察官もいた。」
「会津藩士の広沢安任は、会津藩廃絶後後家再興運動をおこし、松平容保の嫡男容大を藩主としてのちの弘前県に編入。広沢は洋式牧場をおこし、5年で軌道に乗せる。」
「結成当初の彰義隊は、浅草本願寺で、頭取渋沢成一郎、副頭取天野八郎という体制でスタートした。渋沢成一郎は渋沢栄一の従弟でともに糸津橋家に仕えた。」
「もし列藩同盟が優勢を保っていれば、あるいは北部連邦政府が本当に誕生していれば、日本の近代史は大きく様変わりしていたかもしれない。」
「天皇は9月7日宮中の賢所で神楽を奉納する儀式を執り行った後、自らくじを引いて明治の元号を選び出した。」
「維新という言葉はこの時代はまだ使われていなかった。幕政から王政への復古革新について勅命に基づくものとして万事御一新のように御をつけて布告に用いられそれが当時の新しい時代性を示すなとなった。この改新を詩経・大雅・文王の成句をとって維新と称したが、それが発音の類似から御一新と混用されるようになった。」
このほかにも、浅田飴、鉄砲商大倉氏、チェストの由来、風月堂のパン、南北戦争と軍艦ストーンウォール、一橋家の家臣であった渋沢栄一の話などなど興味深い話題が満載である。
いずれにせよ、本書を読むと1868年という時代は、無血開城とは名ばかりの戦乱にまみれた動乱の時代でもあり、通常我々が抱くような新政府にきれいに政権を明け渡したというものではなかったことがよくわかる。本書で、日本版南北戦争というのが正しいかもしれない。
「石油の終わり」松尾博文著 日本経済新聞出版社 ― 2018/05/06 09:41
表題とは異なり、中東を中心とした今の国際情勢と、シェールオイル革命によって進む勢力図の変化、パリ協定批准によるエネルギー戦略の方向性などここ最近の新聞記事によって耳にする話題をまとめたものである。
新聞記者らしく情報の整理がなされているものの、目新しいものはない。
本書で参考になったところは、パリ協定の内容と最新のシェール革命の姿である。
まず、パリ協定。
日本の目標は、30年時点で13年比26%減。50年には80%削減するという壮大なものである。
日本国内で温暖化ガスの80%削減を達成するには、地球環境産業技術研究機構によれば、電源の4割を原子力発電、残りを太陽光や風力、地熱、水力などの再生可能エネルギーで賄う必要がある。そしてCO2を回収する装置を持たない火力発電所は存続できない。さらに、自動車やトラックを全て電気自動車や燃料電池自動車に切り替えても、10億トンは減らせず、この部分を産業界が削減する必要があるという。
ところが、我が国ではこのパリ協定への道筋をどうつけていくのか、今ひとつ議論が盛り上がっていない。
続いて、シェール革命。
12年夏に日量600万バレルだった米国の原油生産量は、15年夏には同960万バレルとなった。この増量分はイランやUAEの生産量に匹敵するという。これが、原油価格の低下の引き金となった。そして、今シェール革命は、限られた産油国が主導する石油市場の秩序の終わりを告げた。さらに、米国第一を掲げるトランプ政権の原動力となったラストベルトもシェールオイルの生産地である。これが米国の内向き志向の源泉とも重なる。
このほか、原発再稼働問題、発送電分離や電力・ガスの自由化の動き、新興国への進出などエネルギー関連の話題が満載ではあるが、総花的な印象は拭えない。
「石油の終わり」というよりも、「OPEC支配の終わり」という表題がふさわしい。
「電気ショックの時代」エドワード・ショーター、デイヴィッド・ヒーリー著 みすず書房 ― 2018/05/05 05:42
本書は、精神疾患の治療法として1930年代に開発され、今でも有効な治療法として使用されている電気ショックについて、その歴史を辿ったものである。
その内容は、開発当初は治療効果が高いとされていたこの治療法が、時代を経るとともにその名称と見た目から、倫理的に問題があるとされ次第に廃れていき、最近になって再び注目されるようになるまでを描くものである。
1930年代、精神医学における治療法といえば鎮静剤しかなく事実上医学は何の救いもなかった。それは、てんかんと統合失調症を併発している患者が、てんかんの発症後明らかに統合失調症から回復していることの発見から始まる。当初、樟脳による治療が行われその後メトラゾールやインスリンによりショック療法が行われ治療効果が確かめられた。
これを応用し電気を使ったけいれん誘発として開発したのが、チェルレッティである。以後この手法が極めて有効な治療法であるという評価が確定し、世界に広まって行く。
ところが、その過程で、電気ショック(ECT)が精神病院において患者に規則を守らせいうことを聞かせるために懲罰的に用いられたり、精神分析学による治療や、新たな薬の発見などにより、次第に脇に追いやられて行く。特に大きな役割を果たしたのが、映画「カッコーの巣の上で」である。インフォームドコンセントの流れもあり、1970年代になるとアメリカではECTの使用が制限され、サンフランシスコでは完全に禁止されてしまう。
この結果、手続きのために治療が遅れ、複数の死者が発生したという。
ECTへの回帰は、薬物療法の治療不応性のある患者への有効性が再認識されてきたことをきっかけにしている。
現代では、電気を使った治療にも磁気刺激や埋込型治療など様々な改善がなされ、骨折などの副作用への対策も進んでいる。
しかし今なお1938年のチェルレッティの治療法の基本は変わらず今なお生き続けている。
著者が、心臓麻痺に有効な除細動器はまったくそのようなことはないのに、電気ショックだけは映画でも否定的に扱われる問題を指摘する。
そして、
「医学という領域は、不合理性から絶縁されてなどいないのである。」と結んでいる。
医療の世界においても、試行錯誤はあるが、その治療成績にもかかわらずここまでイメージを悪く描かれた治療法も珍しい。
特に映画やマスコミの影響の大きさを改めて感じる。
これは他の分野でもよく見られる現象かもしれない。
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