「三井大阪両替店」萬代悠著 中公新書2024/06/04 10:03

https://image.yodobashi.com/product/100/000/009/003/803/892/100000009003803892_10204_002.jpg

著者は、三井文庫研究員として、江戸時代の三井大阪両替店における信用調査の実態を、明らかにしたものである。  私も、金融機関に勤務した経験があることから、非常に興味深く読ませていただいた。

 驚くのは、この時代から聞き取りなど多面的な角度から親油調査を行い、担保評価も現代とそう変わらない形で担保掛目を行い評価をしていたことである。

 また、三井が、住友の前身である泉屋にも融資をしていたことも興味深い。

 それにしても、三井文庫に所蔵されていた一次資料から、当時の貸付先の業種、貸付先の大阪における分布、貸付成約件数、貸し付けに至らなかった理由など非常に緻密に分析した著者の苦労に敬意を表したい。

 なお、著者は当時と現代の融資の大きな違いとして、人柄を融資の判断に使っている比重が高いことを挙げているが、今も、数字だけによらず経営者との面談や所支払い状況など定性面も重視して融資判断を行っていることを申し上げたい。

「世界史を大きく動かした植物」稲垣栄洋著 PHP2018/09/10 13:29

https://www.amazon.co.jp/gp/product/456984085X/ref=as_li_tl?ie=UTF8&tag=takokakutaasa-22&camp=247&creative=1211&linkCode=as2&creativeASIN=456984085X&linkId=647aa3120919f0c2cca11882cc8ed33a

本書は植物と人類史について書かれた本であるが、実に面白い。そしてその視点がユニークである。それは、植物(本書に登場する穀物や野菜)がわれわれ人間を利用してその勢力を拡大して来たというものである。

例えば、コムギ。その祖先種は、ヒトツブコムギで、種子が落ちない特別種である。種子が落ちなければ植物は子孫を残すことができない。それを人類が食料として利用した。
加えて、人間はイネ科植物の茎や葉を食料にすることはできない。そこで草食動物に食べさせてその動物を食料にした。
こうして生まれた農業によって人類は人口を増やし、村を作り出し、村を集めて強大な国を作り出すようになる。富を持つものと持たないものには格差が生まれ富を求めて人々は争うようになる。

そしてコメ。戦国時代は貨幣が統一されていなかったが、徳川幕府の時代にコメ本位制が確立する。このため、江戸時代はこぞって新田開発に乗り出す。何しろコメは貨幣である。田んぼの面積を広げ、コメの収量を上げることがビッグマネーを生み出すビジネスであった。
さらにイネは、コムギに比べて優れた特徴があった。イネは作物の中で際立って収量が多い作物である上、連作が効くという特徴である。

また、ジャガイモは当初食料としては活用されず、寒冷地であるドイツで食べられるようになった。加えて、保存がきき豊富に得られるジャガイモがやがて豚の餌となり、肉食が広まっていったという。
そして、アイルランドの悲劇は有名であるが、この大飢饉によって食料を失った人々が新天地のアメリカを求めて400万人もの人々が渡った。彼らが、いたから超大国のアメリカが生まれたといっても過言ではないという。その証拠に多くの大統領がアイルランド系であるという。

さらに、ワタ。南北戦争は、ワタの産地で急速に経済力をつけていった南部と、イギリスから輸入される工業製品に高い関税をかける保護貿易を行いたい工業化しつつあった北部との間で、行われた戦争であるが、リンカーン大統領は奴隷解放宣言を出すことによって、イギリスがアメリカ南部を支援させないようにするという戦略だったという。

世界四大文明は、主要な作目と関係しているが、唯一残っている中国文明は、コメとダイズであった。そして残った理由が、コメは連作障害を起こさず、ダイズはマメ科の植物で地力を回復させるという特徴を持っていたからだとする。
また、三河武士の赤味噌、武田信玄の信州味噌、伊達政宗の仙台味噌のいずれも戦陣食として作られたものであるという。

最後はトウモロコシ。これは、植物学者から見ると謎の植物であるという。ところがこれが、現在最も栽培量が多く、かつ人間が利用している植物であるというからおもしろい。
トウモロコシが人間を利用しているという著者の例えは全くその通りかもしれない。

「明治の技術官僚」柏原宏紀著 中公新書2018/07/04 11:11

本書は、幕末にイギリスへ密航して、帰国後に明治期において活躍した五人の長州藩士の物語である。その名は、伊藤博文、井上馨、井上勝、遠藤謹助、山尾庸三である。

本書を通じて、明治期日本が多くの試行錯誤を経て形作られていくさまが丁寧に描かれている。 また、この五人がいくつもの偶然の結果、明治日本の中枢で活躍したこともよくわかる。

すなわち新政府において、英語ができ海外の事情に詳しい彼らは貴重な存在だった。開港場長崎の統治を任された井上馨、開港場神戸を任された伊藤博文、兵庫運上所を任された遠藤謹助である。その後、五人いずれも民部大蔵省に奉職することとなる。

その後の廃藩置県、予算精度の導入、士族に対する秩禄処分など井上馨は政策課題を次々と対応していく。

また遠藤謹助は技術官僚として造幣政策の展開に関わり、山尾庸三は工部省を作り、井上勝は特に鉄道建設に力を発揮する。この時代は、予算の制約もあり、この際井上勝の要望を伊藤博文が政治的決断をしたくだりなどは、長州五傑の仲とでもいうべきであろう。

さらに、大久保利通暗殺後の政治体制で重要な役割を担ったのが伊藤博文と井上馨であった。その背景にあったのが豊富な洋行経験である。

・そして、伊藤博文の憲法調査に基づく明治憲法体制に結びついていく。 ・近代国家形成にあたって、彼らの果たした役割は大きかったことは特筆に値する。それは、若き日の彼らのイギリス留学と幕末という時代を長州藩においてイギリスや幕府との交渉にあたった経験が生きていると感じる。 彼らの歩みを追体験することによって、今の日本をより深く理解することができる。

「リサイクルと世界経済」小島道一著 中公新書2018/07/02 15:31

本書によれば、古紙や廃プラスチック、鉄スクラップなどの再生資源や中古車は、日本の輸出の主力品目の一つとなっているという。 本書はこれら再生資源の国際的なリサイクルにスポットを当て、現状と課題を論じたものである。

この分野については普段報道等で接する機会も少ない一方で、国際貿易面で見ると大きなものがあり、本書のような視点も重要であり一読の価値はある。 ・また、日本では認知度が低いが、中古タイヤに新たにゴムを張って新品同様の製品を作る更生タイヤ、中古品を修理や補修を行い新品と同様の製品として出荷する再製造というリユースの方法もあることを紹介している。

さらに、GATTやバーゼル規制など自由貿易や有害廃棄物の越境移動に関する規制などにも触れ、これらを両立させていくための国際的な枠組みの重要性についても論じている。

・加えて、中国では2018年から廃プラスチックの全面的輸入停止措置がとられるという最新情報があるが、新聞等でも大きな問題になりつつあるようであり、今後の影響が注目される。

いずれにせよ、国際的なリサイクルは、資源の有効利用となるものでありこれからますます重要なテーマとなるものだと感じる。

「遺伝子(下)」シッダールタ・ムカジー著 早川書房2018/06/28 08:42

「不完全な世界は我々の世界」
冒頭で著者は、詩人ウォレス・スティーブンスの言葉を引用しているが、これが本書の要旨となる。

下巻では、遺伝子解読、ポリメラーゼ連鎖反応(PCR)、そしてクリスパーキャス9による遺伝子改変などがテーマとなる。

以下興味の引かれた言葉を引用する。
「健康を定義するために病気が使われ、異常が正常の境界を定め、逸脱が適合の境界を定める。鏡文字を介した結果、医師の目に映るヒトの身体は壮絶に歪んでしまう可能性がある。」
「確実に言えることは、危険な海峡の横断を生き延びた人類はごくわずかだったということだ。ヨーロッパ人や、アジア人や、オーストラリア人やアメリカ人はこうした凄まじい難関を生き延びた人々であり、この試練に満ちた歴史もまた、我々のゲノムにその痕跡を残している。」
「一番最近の推定によれば、遺伝的多様性のほとんどは、いわゆる人種の内部で見られ、ごくわずかな割合だけが人種間で見られることがわかっている。…このように、人種間の多様性が非常に高いために人種というのはどんな特徴の代わりにならないほどお粗末な概念と言える。」
「ヒトの多様性をどう分類し、どう理解すればいいのかを遺伝子が教えてくれることはない。しかし、環境や、文化や、地理や、歴史は教えてくれる。我々の言語は遺伝子と文化とのあいだのこのずれを捉えようともがきながらも混乱している。ある遺伝子多型が統計学的に最もありふれている場合には、我々はそれを正常と呼ぶ。…このようにして我々は遺伝子多型に言語的な差別を差しはさみ、生物学に欲求を混ぜ込む。」
「20世紀初頭の遺伝学がそうであったように、エビジェネティクスは今、ニセ科学を正当化し、窮屈な定義を押し付けるために使われようとしている。」
「大きな苦しみを定義するのは、私たちであり、正常と異常の境界線を引くのも私たちだ。介入という医学的選択をするのも私たちであり、正当化できる介入とはどのようなものかを決めるのも私たちだ。」
「正常とはなんだろう?親が正常な子供を選択するというのは許されることなのだろうか?介入というまさにその行為によって、異常のアイデンティティが強固なものになったらどうなるのだろう?」
「我々は今、ヒトゲノム工学における同様の瞬間に、つまり、胎動が始まる瞬間に立ち会っている。以下の段階を順に考えてみよう。(a)本物のヒトes細胞を樹立する。(b)精度の高い手法によって、そのヒトes細胞株の遺伝子を意図的に改変する。(c)遺伝子を改変したそのes細胞からヒトの生死や卵子を形成する。(d)遺伝子を改変したその精子と卵子を体外受精させてヒト胚を作る…すると、かなり簡単に遺伝子改変人間が誕生することになる。」

そして最終章で著者はこう述べて締めくくる。
「しかし実際のところ、何が自然なのだろう?一方では、自然とは、多様性、変異、変化、不定、可分性、流動性であり、また一方では、不変性、永続性、不可分性、正確性である。矛盾する分子であるDNAが、矛盾する個体をコードしているというのは当然のことのように思える。我々は、遺伝に不変性を求め、反対のもの、そう、多様性を見つけるのだ。」

深く考えさせられる著作である。

「トマト缶の黒い真実」ジャン・バティスト・マレ著 太田出版2018/06/25 10:47

何とも衝撃的な本である。トマト缶の誕生から現在の中国産のトマトが世界市場を制覇するまでをたどる内容で、現地を歩いて取材した生々しいルポルタージュに説得力がある。

まずは、中国は世界最大の濃縮トマト輸出国という話である。
そのトップは、世界中の大手食品メーカーに濃縮トマトを供給している新疆ウイグル自治区にあるコフコグループ(中糧集団有限公司)で、ハインツ、ユニリーバ、ネスレ、キャンベルそしてカゴメ、デルモンテまで取引先としている。
また新疆ウイグル自治区では、幼い子供も働かされるなど過酷な労働条件で収穫され、イタリアから技術移転された機械でドラム缶入り濃縮トマトが加工生産されている。
そして現在では圧倒的な低価格で、世界各国のトマト加工工場を駆逐し、イタリアでは中国からの3倍濃縮トマトを再加工して詰めなおしイタリア産のラベルを貼りなおして再輸出するような方法が一般的になっている。この再輸出手続きにはEU関税がかからないという。

さらに、このイタリアで輸入された3倍濃縮トマトの消費期限切れドラム缶については、別の容器に移し替えたうえでアフリカに輸出されているという。

そして、この中国産濃縮トマトにはさらに衝撃的な話が出てくる。
缶の表示には、原材料トマト、塩としか表示されていないのに、実は大豆食物繊維、デンプン、デキストロース、そして着色料が添加され、増量されている現場を取材している。そしてこの増量の割合がすさまじい。なんとトマト31パーセントに対し添加物69パーセントというものまである。
極めつけは、酸化して黒く変色したトマト通称ブラックインクまで添加物によって再生しているというものである。

それにしても、グローバル化の行きつくところの最終形態がこのような形になっているとは、絶望的な気分になる。
もはや、トマト缶を口にする気にはなれない。

「ダーウィンエコノミー」ロバート・H・フランク調 日本経済新聞出版社2018/06/15 07:53

個人の利益と集団の利益が相反する場合に、ダーウィンの理論を応用して独自の理論を展開している。
すなわち、自然選択の理論において、アメリカアカシカのツノを例に挙げ、個の利益が種の不利益となることがあり、個体レベルでの競争優位性は必ずしも種の生存にとって好ましいものではないという事実を応用し、背景を考慮しない旧来の経済理論を批判する。
これに加えて、行動経済学の理論やコースの理論を組み合わせて、本書はほぼ一貫として、アメリカにおける規制反対の立場をとるリバタリアンの主張への反論に彩られている。

例として、
・財政赤字により道路舗装をアスファルトから砂利道に格下げしているが、結果として自動車の損傷や死亡事故の発生により、むしろコストがかかっていることを指摘。
・政府が借金で支出を増やすと「消費者はそのツケは将来の税負担となると考え今消費しなくなる」という反対論に対し行動経済学の立場から批判を展開。
・軍拡競争を例に、互角の二国が際限ない軍拡に突き進んむ事例を挙げ、互角の軍拡競争が無駄であり多国間の軍縮協定が全員にとって利益になるとしている。
・高額所得者への減税の議論の中で、減税は雇用創出促進の効果があるとされたが、雇用の増加によって利潤が増加しない限り雇用は増やさないとする。
・さらに、気候変動とCO2課税、渋滞料金の徴収、タバコ税、酒税など間接的に害を及ぼす課税の効果を検証している。

また、著者独自の提案として、累進的消費税を取り上げていることは注目に値する。この税は、消費税の逆進性の問題を解決するとともに、他人を害する行動を控えさせることができるという。

ダーウィンの理論からの経済学への応用というと、環境に適応したものだけが生き残るという適者生存に目が行きがちであるが、本書のように個人と集団の利益が相反した時の解決策としての考え方もあるという議論に新鮮さを感じた。

「幕末史かく流れゆく」中村彰彦著 中央公論新社2018/06/13 08:38

明治150年の節目にあたり、幕末史を振り返る著作が多く出版されているが、本書もその一つである。
見開き1ページで読み切れるような構成になっており、かつ作家らしく著者独自の視点から描かれており、わかりにくい複雑な明治維新に向かっていく動きが手に取るようによくわかる。

いくつか興味を惹かれたところをあげる。
~明治維新への動きへのきっかけとなったペリー来航。この時の老中主座阿部正弘、相談を受けた水戸藩前藩主徳川斉昭ともになすすべもなかった。1年後に再来航を宣言して江戸湾を立ち去ったが、水戸藩には攘夷思想が根付いていた。
~日露和親条約の際に交渉に当たったのは、川路聖謨であったが、交渉上手でかつプチャーチンから信頼された。
~井伊直弼の無勅許調印は、英仏の日本進出をおそれ、内憂よりも外患を先に片付けようとした直弼の判断だった。
~コレラは長崎、大阪と異人たちに対して開かれて土地を経由し、やはり開市された江戸の海辺で大流行したことは、異人たちがコレラを持ち込んだことを示していた。

なお、本書では、西郷隆盛について独自の見解を持って書いている。
~安政の大獄の当時、在京の西郷は彦根城襲撃策を江戸にいる同僚に手紙を書いている。当時から暴力革命論者であった。
~禁門の変で名をあげた西郷吉之助は、長州追討総督尾張藩前藩主徳川慶勝から相談を受けると、新たな雄藩連合を考え、実際に長州藩相手に開戦して負けたりしたら幕府の権威を失墜させる。よって毛利に穏やかに降伏謝罪を促すのが得策と考え、回線をせずに勝ちを制する策を着想した。
~その後、長州藩は西郷吉之助経由で南北戦争が集結したアメリカからイギリス人商人グラバーを通じて高性能の銃器を購入した。
~また、大政奉還のための薩摩土佐盟約を結ぶ一方、薩摩藩浪士約五百人を江戸の薩摩藩邸に集めさせ辻切りや強盗を行わせた。
~「江戸で銭強盗が罪もない商人たちを殺すことを黙認していた西郷が、京では龍馬暗殺に動いた可能性はより深く検討されてしかるべきだろう。」
~大政奉還後の慶喜の扱いについて、公武合体派の山内容堂との会議が難航すると、西郷が岩倉具視に対し最後の手段を取るように伝え、この話が容堂に伝わり、慶喜の辞官納地が決定した。

また、著者独自の視点として2点あげられる。
一つは、倒幕の密勅とされる文書は、岩倉が国学者に書かせたもので、天皇が発した詔書の形式が整っておらず明らかに偽勅である。したがって、明治政府は偽勅で誕生したというのである。
もう一つは、明治以降薩長主体の東軍を官軍、東軍を朝敵と決めつける順逆史観が登場し、それ以来東北蔑視の感覚は現代に続いているというのである。

いずれにせよ、明治維新を改めて概観すると、多くの戦いと犠牲者があり、謀略も渦巻いており、決して無血革命などという綺麗なものではなかったことが良くわかる。

「戦国時代と大航海時代」平川新著 中公新書2018/06/11 11:14

中世における世界進出を進めるスペインとポルトガル。この時代はインドや東南アジアの国々が植民地化されている。多くの住民も虐殺されている。ところが、日本は全くそういうことはなかった。
また、豊臣秀吉の朝鮮出兵についてはその理由が諸説あり定まっていない。

これらの疑問に、明確に答えたのが本書である。また、この時代の世界との交流が、次々と明らかにされ、我々が思っていた以上に世界とのつながりがあったことに新鮮な驚きを覚える。

まず、秀吉の朝鮮出兵。本書によれば、秀吉はポルトガルとスペインによる世界征服への動きへの対応の表れだったという。その理由として、フィリピン総督やポルトガル国王に対し明国征服の野望を強い口調で知らせているのである。そしてこの朝鮮出兵という巨大な軍事行動がスペイン勢力に恐怖心を与え、アジアの軍事大国としてヨーロッパでも知名度を上げることになり、これが日本が植民地化されなかった理由の一つである。

さらに、本書では伊達政宗に注目する。伊達政宗は、家康の時代、慶長遣欧使節として支倉常長をスペイン国王とローマ教皇のもとへ派遣する。この時代家康はキリスト教禁止令を発令していた。にもかかわらず政宗は伊達領でのキリスト教布教を認め、宣教師の派遣を要請していたのである。ただ、スペインは貿易に応じるよう条件として日本全国での布教の保証を譲らず交渉がうまくいかなかったため、支倉の報告を受けて、間を置かずに伊達は領内に禁教令を布いたのである。

また、イエズス会宣教師がこの時代奴隷貿易に関与していた、宣教師たちは軍事力を持ち日本征服を考えていた、当時の将軍は海外からは皇帝とみられていた、など興味深い話がいくつも出てくる。

本書を読んで、パズルのピースがぴったり当てはまったような心地よさを感じる。
加えて、世界史と日本史との関連性も理解しやすく、トリデシャリス条約と日本の関係やカトリックとプロテスタントの関連と日本への布教活動の動き、そしてなんといってもこの時代の日本がいかにうまく世界と渡り合っていたのかまでつかむことができ、爽快感さえ覚える本となっている。

中世の歴史がますます面白くなる一冊である。

「議院内閣制」高安健将著 中公新書2018/06/10 20:12

主にイギリスの議院内閣制について論じた本であるが、本書の本質は最終章「政治不信の時代の議院内閣制―日本政治への合意―」にあると言っていい。
すなわち、近年のイギリスにおける国家構造改革は、貴族院改革、権限委譲改革、人権法の制定、司法改革、政治運営に関する暗黙のルールの法典化などイギリスにおける権力の中心である議員内閣制を外部から拘束しようとするものであり、これらの改革を著者は、権力を分散させ、透明性と手続きの明確化を志向する改革として、「マディソン主義的」と定義している。
一方で、我が国においては、経済財政諮問会議の設置や内閣人事局など内閣府と内閣官房の拡充と強化が顕著に見られ、近年の政治改革は自民党を集権的な組織に変貌させている。もともと議院内閣制は集権化をもたらすものとしているものの、透明性を欠く政策運営や、官僚制を含め公的機関の幹部人事を通した集権化により忖度政治など多くの弊害が生じているとする。加えて、マスメディアでも集権化する議院内閣制の弊害を指摘する。
そういう意味で、著者が本書を通じてイギリスがすすめてきた一連のマディソン主義的改革を紹介した意図は、政党間競争ともう一つ参議院という歯止めとしての存在があるという。

著者は最後にこう述べている。
「議院内閣制は、政治エリートへの不信を前提とするマディソン主義的システムによる支えを必要とするようになっている。」

長い歴史によって築き上げられ、絶えず改革を続けてきたイギリスの議院内閣制は、今も日本の政治制度の手本であり続けると思う。