「失敗学実践講義」畑村洋太郎著(講談社) ― 2007/02/03 20:38
不二家のずさんな品質管理や関西テレビの捏造など、いわゆる大企業と呼ばれる会社の信じられないような不祥事が続いている。
いずれの企業にも、不正を防止するためのチェックシステムらしきものはあったが全く機能していなかったようである。
本書は、過去のさまざまな失敗事例から「失敗学」を提唱している畑村洋太郎教授の最新作である。
ここ最近世間をゆるがせた大きな事故について、9つの事例を取り上げ、「原因」「行動」「結果」の3つの面から、著者なりの分析をしている。
現場に出かけて、直接失敗にかかわりのあった人から話を聞き、一般に報道されている原因とは全く異なる切り口から、事件の核心に迫っている。
最近の組織では、マニュアルを作成して、組織のノウハウの伝承をしようと取り組んでいるところが多いが、著者は、「考えることをやめる」という弊害があり、チェックリストは「ペケペケペケ」と呼んで、形骸化から必ず漏れが発生するとしている。自分自身の体験から、まったくそのとおりであると改めて思った。
また、「安全を最優先と考えるならば顧客は神様ではない、今はサービスを提供する側も受ける側もなにがもっとも大切かを見失っている。」という著者の主張は、最近の時代の風潮に対する大きな警鐘であり、顧客第一主義を履き違えてはならないと思った。
著者の思想には、「ゼロから見る目を養う」という考えが何度も出てくる。どのような場面に遭遇しても、ゼロベースで物事を見つめれば、絶対に大きなミスは起きないのではないかと確信をもった。
「現代に生きるケインズ」伊東光晴著(岩波新書) ― 2007/02/10 14:33
最近のわが国は、バブル崩壊後の不況対策として、参入障壁を低くし、市場活性化のために、次々と規制緩和を行ってきた。
私も旧来の公共事業にばかり金をかける政府のやり方に反発を感じ、規制緩和こそが景気回復の切り札ではないかと考えていた。
ところが、ここへきて、こうした市場原理主義と呼ばれる考え方も、どうやら弊害が目立ち始めているように思う。
われわれのよく知るケインズは、不況期には赤字国債による公共投資が呼び水となって、波及的に需要が作り出され、景気が回復していくというものである。
ところが、バブル崩壊後の日本ではまったくといっていいほど効果がなく、国債だけが積みあがっていった。
本書によれば、これはバブル崩壊という大きな投機の失敗が不況の根幹をなしていたことが要因であり、さらには好況期に黒字を累積させていなかったことも一つであるとしている。
さらにケインズは、「道徳科学」という考え方を背景に、株式市場は売買手数料を高くすることにより、投機を防ぎバブルを予防することをよしとした。また、失業を減少させ、ストックと所得の不平等を是正するために政府機能の拡大を提唱したという。
最近の、「神の見えざる手」が絶対であるとする市場原理主義的な風潮の問題点が数多く噴出している今、ケインズの復権を感じさせる書である。
「国債の歴史」富田俊基著(東洋経済新報社) ― 2007/02/17 05:46
日本の借金は、国債だけで670兆円、ほかに政府短期証券なども加えると800兆円を超え、膨大な数字にもかかわらず、ここのところの景気回復による税収の伸びなどもあり、ひと頃言われていた危機感は、遠のいているような気がする。
以前からよくある議論としては、国民の金融資産が1400兆もあるので問題ないというものである。また、政府は2011年度には、プライマリーバランス(税収から国債の利払い+歳出を差し引いたもの)を均衡させると宣言しており、実際07年度予算では、最悪期の4分の1以下になるとしている。
世間では、これで消費税の税率アップも必要なくなったという議論も聞かれている。
本書は、序章「市場の警告」で、すでに日本の国債は危険水域に達し、外貨建てで見ると明らかに信用リスクプレミアムが乗せられているというところを解き明かすところからはじまる。
ここを議論の起点として、外国人による保有が少ない、貯蓄超過だからだいじょうぶと言った議論を、閉鎖経済的な考えであるとして明治期や戦前の日本の国債と対比している。
第1部以降は、イギリスにおける「国債」の誕生から、ナポレオン戦争や南北戦争、二つの世界大戦と歴史的にたどり、壮大な国債史とでも言うべきもので、国債の本質に迫っている。
こうしてみると、戦争と国債との関わり合いから、国債は進化してきたものであり、現在は景気変動への対策として変質しているものの、破綻と信用回復の歴史であったと言えよう。
われわれは膨大な国債をどう処理していくべきか、処方箋は書かれてはいないが、著者が最後に言う「国債市場は、絶えず民主主義の健全性を推し量ろうとしている」に深い意味を感じる。
「フラット化する世界」トーマス・フリードマン著(日本経済新聞社) ― 2007/02/17 14:59
先週、ソニーに関する二つのニュースが気になった。
一つは、あのPS3に使われているCPU「セル」の自社生産を、外部委託に切り替えるというもの。
もう一つは、世界市場で昨年の液晶テレビの販売額シェアが16%となり、首位となったニュース。
元々ソニーは、家電製品の基幹部品は自社生産にこだわっていたが、液晶パネル生産からサムスン電子との共同生産に乗り出し、それが成功したので、今回のセルの外注につながったのであろう。
まさに、日本を代表するソニーもようやく、この本でいう「フラット化する世界」にようやく乗り出したことになる。
本書はアメリカを想定して書かれているが、その忠告する部分は、もちろん我々日本にも十分当てはまる。
上巻では、ベルリンの壁の崩壊と、インターネットの普及に伴い、フラット化する世界を分析している。
下巻では、こういった世界の動きに我々はどう対処していくべきなのか、具体的な職業像から、企業の対応策まで詳細な処方箋が示される。
ほとんどの石油産出国には民主的な国家が生まれず、逆に石油の産出されなくなったバーレーンがもっとも創造的で開放的な国となっているという。
最近の日本も、資源はないものの過去の富にあぐらをかいているのではないか。「イマジネーション力」をもって、このフラット化する世界に対応していくことがこれからの日本を決定づけるのではないか、と思った次第である。
「アメリカの終わり」フランシス・フクヤマ著(講談社) ― 2007/02/24 10:01
その後の世界の動きは承知のとおり、9.11に象徴されるように、世界各地でテロが頻発するなど、不安定要因が拡大してきている。
そういった中で、自身をネオコンと称していた著者が、今のアメリカの動きを批判し、どういう道を探るべきなのかを提言しているのが本書である。
今の国連は、大半の活動が機能不全の状態に陥っており、改革するよりもむしろ多数の国際機関が安全保障や経済、環境などの問題に分担して担当していく姿が望ましいとしている。
また、「予防戦争」としたイラク戦争は失敗であり、アメリカが侵攻したイラクを見て、北朝鮮やイランが核開発のペースを速めることにつながったと分析し、ここのところの、安易に軍事力に頼ってばかりのアメリカへの、鋭い警鐘となっている。
「アメリカの終わり」にはまだ早いが、すくなくとも、「アメリカの終わり」の始まりを感じさせる本である。
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