「危険不可視社会」畑村洋太郎著(講談社)2010/06/05 21:24

本書は、あの六本木ヒルズの回転ドア事故を「ドアプロジェクト」を立ち上げ、検証した畑村氏による最新作である。
 本書を通じ、今のこの国の行き過ぎた危険を排除しようとするあり方への警鐘を鳴らしている。

典型的なのが、多くの遊び場から、遊具が撤去されていくという事態である。
 また、30年以上前の古い扇風機を原因とした火事やパナソニックのFFファンヒータの回収など、過度にメーカーに責任追及させる社会への懸念を表明し、地震や事故の後、設備のダメージは大きなものではなかったのに、再稼働までに多額の費用と時間のかかる原発もこの国の特徴的な事例として、あげている。
 原発への対策として、ボイラーの例を挙げ、一つの技術分野で十分な経験を積むには200年はかかると言い、原発の安全率を高めて社会の拒否反応を鎮めてはどうかと提案する。

さらに、機械式駐車場や工場の運搬用エレベータ、エスカレータなどの報道されない使用者の不注意を原因とする事故。急増している自転車の対歩行者の事故とその危険性など、マスコミには取り上げられない事故の未然防止策にも触れている。

危険を排除するというのではなく、その危険をいかに低減していくかの視点を持たなければ、この国の未来も危うい。
 どこかおかしな方向へ向かっているこの国の軌道修正を図るためにも、必要な著作である。

それにしても、著者の「危険学プロジェクト」の基本姿勢には敬服する。 「ベキ論ハズ論は言わない。」、「社会の健全さを当てにする。」、「国のお金は使わない。」、「強いコントロールはしない。」

だからこそ、説得力と実現性のある結果が出ているのだと感じる。

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_ 日々 是 変化ナリ 〜 DAYS OF STRUGGLE 〜 - 2010/07/03 23:48

エスカレーターでは必ず手すりを持ち万一に備え、あまりの人だかりをみるとそこから脱出する性格が、私。
日本ではめずらしい「失敗学」の権威(笑)中尾政之氏の「失敗は予測できる」 (2008年02月19日 読後評)、「失敗百選」(2008年04月12日 読後評)が少なからず影響を与えている(笑)

こうした種類の本をよく紹介している当ブログが今日紹介するのは、東大で機械工学を教えている先生、畑村洋太郎氏の本。
こちらの切り口は「危険を可視化するということ」=「危険学」

タイトルを以下、ざっと。
第1章 制御安全の落とし穴
第2章 制御システムの暴走
第3章 「つくる側」と「使う側」の間
第4章 人も凶器
第5章 原発が信用されない理由
第6章 子どもから危険を奪う社会
第7章 規制・基準で安全は担保されるのか
第8章 安全社会の危険

共通した主張となっているのは、重大事故のほとんどは類似災害であるという点。
で、この本の特徴と感じたのは、その理由についての言及もあること。

冒頭で紹介される事例は、あの有名な六本木ヒルズ回転ドア事故。
瞬時に機械を停止させる機能がもともとない構造だった点が、あとで発覚している。
が、それを作り上げてしまった理由が「ビル風対策」そして「見栄え」(!)だったことを指摘している。

なぜこうなってしまうかについては、ラストに近い7章に述べられている。
先の回転ドアとの直喩はないのだが、「これが言いたかったのだな」とピンときた。
それは、知識でははるかに劣っている「役所」が規制や基準を作り続けることで、「規制を受ける側」が「形としてそれを守っているふり」つまり、「形骸化」するということ。
一方、役所に「責任追及」と「原因究明」の両方が司法にゆだねられている「ねじれ」の結で、世の中に本来伝えるべき情報が、隠蔽される傾向にあるという指摘である。

これを読んだあとでは、「危険不可視社会」というタイトルも実に納得がいく。
圧倒的な物量でせまる「失敗百選」、新書だがあなどれない「失敗は予測できる」 に続き、オススメの1冊。