「勝つための経営」畑村洋太郎×吉川良三著 講談社現代新書2012/05/03 07:25

パナソニックやソニー、シャープなど軒並み大規模な赤字決算の発表を耳にする。
本書は「失敗学」で著名な畑村氏とサムスン躍進の基礎を築いた吉川氏が、これら危機的な状況にある日本の電機産業の失敗の構図を分析し、製造業にとってのこれからの戦略を描いている。

我々の常識を覆すような指摘が興味深い。
~サムスンは円高ウォン安で先進国の市場を席巻していると言われるが、先進国で強いのはデザインや機能に付加価値をつけた高価格製品である。むしろ円高が進むと製造コストの増加につながるのでマイナスになる。
~日本企業の低迷の原因を円高に求めるのは、為にする言い訳にすぎない。
~法人税の高さが日本企業の低迷とするのも、海外で戦うときは同じ競争条件であり法人税の高さは問題ではない。また、日本の法人税を下げることによって海外の企業と国内での競争が激化することもありうる。

ものづくりの構図が大きく変貌したのは、3次元CADや製造装置のデジタル化によるある程度の品質の開発がいつでもどこでも誰でもできるようになったことが大きい。
一方で、日本の製品は高い技術で作られ豊富な機能を備えているものの、消費者が求めているものとは乖離している実態がある。
さらに、成熟した企業組織における官僚化の問題、減価償却期間の問題、FTAやTPPが遅れて標準化から取り残される問題、コンプライアンスなど自由で柔軟な発想を阻害する問題などなど多くの懸念が挙げられている。

そういう中で、日本独自の技術を「秘伝のタレ」に例え、簡単にはマネの出来ない技術に磨きをかけることと、変化が激しい時代でも自分自身で最適解を導き出し迅速に行動できる人と組織を作ることが鍵となると結論づけている。

これからも日本は「ものづくり」で進むべきであるとしつつ、元気がない日本の企業への変革を迫る好著である。

「オオカミの護符」小倉美恵子著 新潮社2012/05/03 15:30

川崎市の土橋という地区の農家に生まれた著者が、土蔵に貼られたオオカミの護符の由来を探ることから始まる物語である。
 自ら歩いて取材し、武蔵御嶽神社に始まりかつて武蔵の国にあったオオカミ信仰を訪ねて、秩父にまで足を伸ばしながらこの国に息づいていた地域社会を描き出している。

経済優先の社会とともに忘れ去られていったつい最近まであった地域のつながりと、その源流まで辿ることでこの国の成り立ちが見えてくる好著である。

私も川崎にも秩父にもかつて関わりがあり、特に秩父各地の神社に祀られていたオオカミの姿や秩父独特の締めは不思議に思っていた。
その由来にも触れられて、親しみを感じた。

「人間の基本」曽野綾子著 新潮社2012/05/04 07:03

今年で83歳になる曽野綾子の新刊。
経験に裏打ちされた説得力のある本である。

著者独特の視点で物事を見つめ、教えられることも数多い。
~自らの戦争体験から貧乏の定義を「その晩に食べるものがないこと」とし、受給金でタクシーに乗って競輪に行くような人がいる今の生活保護制度を批判している。
~教師と生徒は対等ではない。教育とは強制である。
~日本では、自由を教えても自由の制限は教えられない。
~どれだけ格差はいけないと連呼したところで、格差のない社会はない。
~常時ばかりではなく、非常時にも対応できる人間、その基本にあるのは一人ひとりの人生体験しかない。
などなど

今のこの国にとっては貴重な意見が詰め込まれている。

「製造業が日本を滅ぼす」野口悠紀雄著 ダイヤモンド社2012/05/06 13:09

いつも我々の常識を覆すテーマを取り上げる野口氏の最新作。
今回は、製造業がテーマである。

すなわち、今後の日本の製造業は国内では成り立たない。このことは、発電コストが上昇している電力問題からも、海外移転を加速させる。
 むしろ、我々が使う製品を海外の電気を用いて作るという発想に転換すべきである。
また日本は、新興国をターゲットに消費財を売る戦略は利益率が低下するだけで、取るべきではない。むしろ、これまでのとおり付加価値の高い中間財を輸出することである。

震災をきっかけに定着した赤字構造は、今後は継続する。そして貿易赤字の中では、円高は有利に働く。

以上から、海外移転を空洞化として阻止するのではなく、これからの中小企業の海外移転をサポートする政策を取るべきである。

また、TPPやFTAは経済のブロック化を加速させるだけで、誤った政策である。むしろ、日本が目指すべきは、イギリスをモデルとした世界に開かれた海洋国家である。

野口氏らしい歯切れのよい議論である。

「食の終焉」ポール・ロバーツ著 ダイヤモンド社2012/05/13 09:32

現代社会における食をめぐる様々な問題点を抽出し、その持続性に疑問を投げかける。
読み進むほどに多くの課題が見えてくる。

成長因子テトラサイクリンの発見に始まり穀類を中心とした工業化による肉の大量生産の始まり。その後の大量生産仕様の鶏の開発とサプライチェーンの要求によるオートメーション化と大規模化。
調理時間の短縮化による加工食品の拡大。今やアメリカではサンドイッチが最もよく夕食に登場するという。
食品産業の過当競争による利幅の減少を背景に、量を売ることによる利益の拡大のためのスーパーサイズ化現象。
需要の拡大のため新製品の投入を続ける食品会社、一方で生産者に対し価格交渉力を持つサプライチェーン。
補助金によって余剰生産農産物を低価格で輸出し続ける先進国により、「緑の革命」が頓挫したアフリカ。
鳥インフルエンザの発生拡大の阻止に努力しようとしない中国。
などなど
多種多様な商品を市場の要求に応えて少しでも安く供給されるまで働き続ける巨大な食システムの問題を暴きだす。

中でも、特に最終章の悲観シナリオが恐ろしい。気候変動、地下水の減少、極限までの農地拡大、土壌侵食、小麦さび病や鳥インフルエンザなど様々な要因が重なり同時多発的に発生する食の大惨事。
一方で、日本の合鴨農法やキューバに見られるような循環式生産モデルも取り上げ、楽観シナリオも提示する。

どちらに転ぶかは、我々のこれからの行動に委ねられている。

「収奪の星」ポール・コリアー著 みすず書房2012/05/20 09:47

世界の貧困問題に真正面から取り組むポール・コリアーの著作。
今回は、貧困問題だけではなくエネルギー問題、地球温暖化、農業、漁業など多岐にわたる持論を展開している。

資源のあるアフリカがなぜ貧しいのか、どうすれば貧困から抜け出すことができるのか。自然資産が外国資本と一部の政府高官によって略奪されているとし、この答えの一つとして、国内投資のリターンの貯蓄を薦める。その上で、賢く自国に投資することを学べとする。
また、魚や森林など再生可能な自然資産については、共有地の悲劇が起こらないように、私有を進めることを提案。公海上の漁業については、国連が管理することを提言している。
さらに、低炭素社会への道筋のためには、世界中のすべての国に排出量に対して一定の負担をさせるというものである。

それにしても、著者が指摘するとおりここ最近の世界は、ドーハラウンドの失敗、地球温暖化ガスの排出規制、世界金融危機への対応などうまく行かない場面が目立っているという著者の指摘は重い。
そして本書を通じて一貫しているのは、我々の子孫に莫大な負債を残してはいけないという考えである。

「老化の進化論」マイケル・R・ローズ著 みすず書房2012/05/27 04:17

進化生物学者である著者の自伝的エッセイ。
ショウジョウバエを使って「老化」について、革新的な発見をするに至る過程が、著者の生い立ちや弟の死、妻とのつらい別れなどの個人的なエピソードを散りばめながら、物語のように書かれて引きこまれてしまう。

著者の研究成果は、ユニークなものである。
すなわち、
「年老いた親の子に限定したショウジョウバエを使って新しい世代を作ることを何世代も繰り返すとハエの寿命が伸びる。」というもので、自然選択の力が老化を決定することを実証したものである。
さらに、
たまたま実験助手が、ハエに餌を与え忘れてしまったために、普通のハエが全て死んだのに対し長寿バエのほとんどが生き残るというストレス耐性を発見した瞬間(大発見にはつきものの偶然の失敗)のあたりはなかなか感動的である。
この大発見から、一定のカロリー制限が寿命の伸びに大きな影響を与えるという多くの実証実験につながっていく。

多くのエピソードと軽妙な文章もあって、楽しく読めた。

それにしても、沖縄の人々の長寿が農業生産性に乏しい地域性と戦後の厳しい食糧事情も相まってもたらされたことも紹介されているが、もはや若い沖縄人は西洋化した食事に変化してきており心臓病やガンの増加が見られるというのは何やら象徴的である。

「森林の江戸学」徳川林政史研究所 東京堂出版2012/05/29 04:31

本書は、秀吉・家康時代以降の森林資源の枯渇の深刻化を背景に、今では有名な木材の産地である木曽や秋田の森林資源の管理を通じて、いまの豊かな森林資源が残されてきたことに光を当てている。

それにしても、17世紀の終わりごろの日本の山は悲惨な状況にあった事実に驚かされる。
徳川初期の未曾有の建設ブームにより、17世紀末の信州飯田地区では、草山(いわゆる禿山)が全体の64%で木山(森林)は22%、東北地方の陸奥国では草山67%で木山23%といった状況で全国的には禿山が広範に広がっていたという。

これを背景に土砂災害や洪水が頻発したこともあって、留山という地域を定めた伐採禁止地区などによる厳格な資源管理が行われていく。

今の日本の豊かな森は、けっして日本人が自然を愛してきたからできたものではなく、失われそうになった貴重な資源を、江戸の初期から実施された厳しい山の管理があったからこそあるのだと痛感させられた。
当時から、すべてを伐採しない拓伐と50年という長期にわたる輪伐というしっかりした管理が行われていたことに驚きを感じる。

加えて、江戸時代の川を利用した材木の切り出しや運搬、当時の材木商なども生き生きと描かれ、貴重な資料ともなっている。