「野生のオーケストラが聴こえる」バーニー・クラヴス著 みすず書房2013/12/19 09:27

ユニークな本である。もともと音楽(ロックミュージック)業界の中にいた著者が、自然音の録音収集家に転じて、自然界の音響を元に様々な考察をしつつ、環境への思いを伝えてくれる。
音声再生用ウェブサイトも用意され、臨場感を持ちながら読み進めることができるのも新たな試みである。

環境問題には特に力が入る。
・ダレスダムによって、音を失ったセリロ滝。
・環境に比較的やさしいといわれる拓伐により間引きされたセコイアの原生林の、前と後の音。見た目ではまったくわからないが、音の違いは明らかである。
・フィジー諸島のサンゴ礁が地球温暖化の影響で死滅する前と後の音。
・1980年代のワイオミング州ジャクソンホールの音と2009年になってからの鳥たちの音の違い。
・圧巻は、元の森のほとんどが伐採しつくされたブラジルの熱帯雨林の音である。乾燥林にも劣るほどの生物の痕跡のない状態になっているのは耳で聞いても衝撃的である。
・一方で、人間が足を踏み入れなくなったチェルノブイリでは、自然の音が豊かになっているというし、砂漠やツンドラ地帯など人が足を踏み入れない地域には、様々な生物の音に満ちているというから意外である。

面白い音も数多く紹介される。
氷河、働きアリの音、数キロ先まで届くゾウの低周波音声、オカリナの音にそっくりなタチヨタカの声や笛の音のようなウタミソサザイなどなど。

音楽の教授に原始的と呼ばれたムブーティ族の音楽が豊かでダイナミックで、幅広い表現法を持っていることに気づいた著者。
かつて人類は、自然の音から音楽を感じ取り、そこにインスピレーションを得て創り出されていったのではないかという仮説はとても魅力的である。

自然の音の風景から、いろいろな思いがめぐらされる良書である。

「劣化国家」ニーアル・ファーガソン著 東洋経済新報社2013/12/22 06:14

「マネーの進化史」の著者による国家論。
表題のとおり、アメリカをはじめとする現代の国家が、衰退する要因を指摘している。

論点は四つ。
民主主義、資本主義、法の支配、市民社会である。
前の3つは主に英国史に絡めて論じている。
すなわち、民主主義については、その弊害が「過剰な公的債務」という世代間の不公平に典型的に現れているという。
また、資本主義については、2008年金融危機は「複雑すぎる規制」に原因があり、19世紀のバジョットの著作を紹介し、規制ではなく自由裁量を重視すべしとしつつ、むしろ処罰を重視する。
そして著者の最大の論点が、「法の支配」である。
イギリスが世界に先駆けて産業革命をなし、大国となったのは、コモンローがあっただとしつつ、現代の西洋国家の「法の支配」は複雑すぎることがむしろあだになり危機に瀕しているという。
そして市民社会である。
トクヴィルの著作から19世紀のアメリカの市民社会の協同的な活力をあげつつ、オバマ大統領の演説を市民社会の危機の典型例と指摘し、筆を置いている。

いかにも伝統的なアメリカの市民らしい著作である。

なお、本書の中で日本は「危機的な国家債務」の国として、中国は「法の支配の働かない国」として出てくる。

「病の皇帝「がん」に挑む」シッダールター・ムカジー著 早川書房2013/12/31 06:35

人類がいかにがんの治療に取り組んできたか、その歴史をたどっていく大作。言い換えれば、がん治療法の歴史でもある。

上巻では、化学療法を編み出しがんの撲滅運動に力を入れたシドニー・ファーバーが中心に描かれる。

1867年に編み出された麻酔と消毒技術が直ちにがんの切除に使われ、ハルステッドという外科医が1880年代にはじめた根治的乳房切除術の大流行。
一方で、細胞分裂の盛んな細胞を選択的に殺すX線の発見からわずか1年後の1896年にがん治療を行ったエミール・グラッペ。
そして、偶然1943年南イタリアに停泊していた船舶に積まれていたマスタードガスの空襲による爆発事故を受けた人々にみられた骨髄細胞の消失からつくられた6-MPという白血病治療薬。
これを起点に、編み出されたVAMPという4つの抗がん剤を最大用量投与する1961年に始められた恐ろしい併用療法の驚くべき治療効果。

これと平行して、トクヴィルが評したアメリカ社会の見方をヒントにファーバーは一般市民の力を最大限利用し、メアリ・ウッダードという支援者を得て、がん撲滅キャンペーンにまい進する。

続いて下巻になると、新たな発見の時代となる。
まずは、がんの原因となる物質の発見。
エイムズが開発したサルモネラ菌の突然変異原性を使った発がん性物質の発見方法。
B型肝炎ウイルスやピロリ菌を原因とする慢性炎症が発がん性を発現させる仕組みの発見などなど。

中でも、たばこ業界との戦いは壮絶を極める。
医者でもある著者は言う。
「誰もが知るもっとも強力かつありふれた発がん物質がどこの街角でもほんの数ドルで自由に売られているという事実には、今も驚愕させられ、心をかき乱される。」

そして、がん遺伝子とがん抑制遺伝子の発見。
ここに至る歴史も、曲がりくねった長い道のりである。
テミンによるレトロウイルスの発見によるがんウイルス説。
クヌードソンによるがん抑制遺伝子仮説。
ワインバーグによるがん遺伝子rasの発見。
そして、ドライジャによるがん抑制遺伝子Rbの発見。
なんと言っても圧巻は、分子標的薬の開発にいたる道のりである。
スレイモンとウルリッヒによるHer-2タンパク抑制抗体の発見とハーセプチンの誕生。
ドラッカーによる慢性骨髄性白血病の分子標的薬グリベック。
一方で巨額の開発費用にしり込みする製薬会社。

がんは、我々の想像以上に複雑で、症例によっては全く治療法がないものもある。
しかし、道は着実に開けつつあるのを感じる。

これは、人類が挑んできた史上最大かつ壮絶な闘いの歴史である。