「原子爆弾1938〜1950年」ジム・バゴット著 作品社2015/07/20 21:13

最新の資料に基づき、多くの物理学者が関与した原子爆弾の開発と広島長崎への投下、そしてソ連によるスパイ活動、冷戦に至る過程が、克明にかつどんな物語よりもドラマチックに描かれている。秀作である。

本書を通読して感じるのは、このようなとてつもない兵器がわずかな期間で開発され、わずか1回の実験でその甚大な影響もほとんどの考えずに投下され、そして、とてつもない量の備蓄がなされてきた事実である。
あわせて、多くの物理学者たちが、戦争に利用され、というよりあるものは率先して開発に関与し、スパイ活動に巻き込まれ、その人生を翻弄されてきた姿である。

まず本書は、1938年ナチスの勢力が拡大しつつある時期に、ちょうどドイツ人物理学者ハーンが核分裂を発見。続いてデンマーク人ボーアがウラン235を発見し、原子爆弾の製造可能性を見出すところから始まる。
ドイツに残ることを決意したハイゼンベルクは、原子炉の開発を進める。彼は、「物理学のために戦争を利用しなければならない」と述べた。 恩師であるボーアは、ハイゼンベルクがナチスのために原子爆弾を開発していると捉えた。
このドイツへの恐怖が、アメリカにおける原子爆弾開発への舵を大きく切ることになる。
そして、1942年フェルミにより世界初の原子炉による臨界実験を成功させ、広島長崎への投下に繋がる。

この開発の過程で、ボーアはすでに、原子力兵器の持つ相補性、すなわち原子力兵器が人類の文明の破滅をもたらす懸念とともに戦争の終焉をもたらすことを察知し、チャーチルに進言していることは注目される。
続いてボーアは、大戦後国連の指揮下で破壊目的の原子力利用を排除する国際委員会を設立するように求めている。

一方で、ソ連は原子力開発研究の中枢であるロスアラモス研究所に深く入り込み、ほぼその成果を手に入れている。このスパイ活動の記録は、なかなか迫真的であり、どんなフィクションもかなわない。

なお、日本への原爆投下の意思決定の過程も、克明に記録されている。この中で、さまざまな議論がなされていたこともわかる。ただ、決定した時点では、核実験がなされる(これも直前の1回のみ)前で、その破壊能力はよく理解されていなかったことに今更ながら驚かされる。

ドイツ人によって発見された核分裂が、戦争とともに、原子爆弾開発競争に取り込まれてゆき、冷戦という恐怖の均衡状態が続く。
原子爆弾開発の過程で生み出された原子炉(もともと軍事利用目的だった!)も、今や多くの問題を抱えて人類を悩まし続けている。
多くのことを考えさせてくれる本である。

著者が最後に書いている言葉が印象に残る。
「恐怖はなくなってはいない。」

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