「シリアの秘密図書館」デルフィーヌ・ミヌーイ著 東京創元社2018/06/04 18:10

本書は、シリアの反政府軍とされた町ダラヤで政府軍の攻撃を受けながら瓦礫から本を集めた若者が、ある建物の地下に秘密図書館を作っていたという記録である。
著者は、シリアに行くことはできなかったが、インターネットで現地の若者とのやりとりを通じてこの本を書いた。

アサド政権の厳しい検閲のため、それまでこの町には図書館がなかった。
2011年のアラブの春の反乱で、若者たちはとても紳士的にデモを行った。それでも、この町はアサド軍によって包囲され、爆撃された。
2013年末、著者の取材した若者アフマドは、崩れ落ちた家の下の本を少しづつ集めて、公共の図書館を作ろうと動き出す。その数1万5千冊。一つ一つの本に番号と所有者の名前を書き入れた。
ここの図書館で、戦争前には読書が好きでなかった若者たちに人気のある本は、デモクラシーについて書かれている本だという。ここでは、読書は反逆の行為、すなわち長い間奪われてきた自由を確認する行為である。

次第にアサド政権の包囲網が厳しくなり、化学兵器も使用される。
そして必要な物資はほぼ入手困難になっていく。

やがてインターネットによりPDFで入手してA41枚に4ページにして印刷して、回し読みするようになるが、最も人気のあった本がコヴィーの「7つの習慣」であったという。この本は、自己啓発の本であるが、ダラヤの若者たちにとっては生きる希望を与えたという。

2016年9月には、ダラヤの町から住民全員が強制退去になる。
著者が取材した青年アフマドはこう答えている。
「これほど自分が自由だと感じたことはない。誰にも奪われない記憶を持っているからです。」
そして
「街を破壊することはできるかもしれない。でも考えを破壊することはできない。」

どのような環境下でも本という存在は人々に多くの知識や勇気を与えることを教えてくれる。

改めて、本が人々に与える影響の大きさを感じた。

「電力と政治」上川龍之進著 勁草書房2018/06/05 09:09

政治学の立場から原発事故以降の政治の対応を時系列に辿ることにより、原発政策がなぜ変わることができないのか、深く切り込んだ好著。

本書においては、特に終章「時間のなかの電力・エネルギー政策」が秀逸である。
すなわち、まず福島第一原発事故のタイミングに注目する。
それは、民主党が政権を取っていたということであり、その影響をいくつかあげている。まずもともと電力会社と深い関係を築いて原発を推進してきた自民党が、事故の時点で野党であったことがその後の政治過程に重大な影響をもたらした。このため危機管理体制の不備や事故対応の不備まで民主党に責任追及の矛先が向けられた。
また、仮に自民党政権であった場合、 政府の東電への対応がさらに甘いものになっていた可能性があるし、さらに、独立性の高い原子力規制委員会が設置されることはなかった可能性があるという。
さらに、電力システム改革についてもこのタイミングが、結果として民主党政権だったために、電力システム改革が打ち出され、実行されていったという。

そして、原子力発電の政策放置が、結果として今後原発の新増設は住民の反対により困難を極め、さらに電力自由化が進み、原発の新設は割に合わなくなる。結果として、遅くとも泊原発が運転60年を迎える2069年には、政権の意図に反して原発ゼロが実現すると予測する。 これが最も現実的な原発ゼロ政策であると著者は結論づけている。

実に日本的な政策実現の方法である。

「10万個の子宮」村中璃子著 平凡社2018/06/07 08:44

ここのところマスコミ報道に偏りがあると感じることが多い。とかくセンセーショナルな話題が大きく取り上げられる。
子宮頸がんワクチンに関する報道などはその最たるものであることが、本書を読むとよくわかる。

本書は、子宮頸がんワクチンによるとされる被害が科学的根拠に乏しいにもかかわらず、その健康被害を訴える声が相次ぎ、事実上の接種停止状態に追い込まれた現状について、多くの問題点を指摘する書籍である。

すなわち、被害者とされた少女たちの症状の多くは、この年齢の少女たちに見られる症例で、「偽発作」と呼ばれる症状であると言う。
また、統計的に有為なデータはなく、これをHANSと名付ける医者たちからは脳機能の説明とそれに基づく仮説だけが語られる。

決定的なのは、名古屋市の調査結果である。これによれば、子宮頸がんワクチンが薬害を引き起こしていることを示すエビデンスは何一つ示されない。

また本書の多くは、これを薬害とする教授の示す発表の誤りや捏造を示し、その事実をしっかりと、相手に投げかけているところに多くのページを割いている。

同時にマスコミ報道の問題点や厚生労働省の対応も指摘する。
その上で、イギリスにおけるMMRワクチンについての薬害デマによる「ウェイクフィールド事件」を取り上げ、創られた薬害が駆逐されていった過程を示している。

そして、日本ではほとんど報道されていないが、WHOは日本へ子宮頸がんワクチンの導入への強いメッセージを3回出している。
三度目の声明はこうである。
「ワクチンを適切に導入した国では若い女性の前癌病変が約50%減少したのとは対照的に、…1995年から2005年で約3.4%増加した日本の子宮頸がんの死亡率は、2005年から2015年には5.9%増加し、増加傾向は今後15歳から44歳で顕著となるだろう。」

「議院内閣制」高安健将著 中公新書2018/06/10 20:12

主にイギリスの議院内閣制について論じた本であるが、本書の本質は最終章「政治不信の時代の議院内閣制―日本政治への合意―」にあると言っていい。
すなわち、近年のイギリスにおける国家構造改革は、貴族院改革、権限委譲改革、人権法の制定、司法改革、政治運営に関する暗黙のルールの法典化などイギリスにおける権力の中心である議員内閣制を外部から拘束しようとするものであり、これらの改革を著者は、権力を分散させ、透明性と手続きの明確化を志向する改革として、「マディソン主義的」と定義している。
一方で、我が国においては、経済財政諮問会議の設置や内閣人事局など内閣府と内閣官房の拡充と強化が顕著に見られ、近年の政治改革は自民党を集権的な組織に変貌させている。もともと議院内閣制は集権化をもたらすものとしているものの、透明性を欠く政策運営や、官僚制を含め公的機関の幹部人事を通した集権化により忖度政治など多くの弊害が生じているとする。加えて、マスメディアでも集権化する議院内閣制の弊害を指摘する。
そういう意味で、著者が本書を通じてイギリスがすすめてきた一連のマディソン主義的改革を紹介した意図は、政党間競争ともう一つ参議院という歯止めとしての存在があるという。

著者は最後にこう述べている。
「議院内閣制は、政治エリートへの不信を前提とするマディソン主義的システムによる支えを必要とするようになっている。」

長い歴史によって築き上げられ、絶えず改革を続けてきたイギリスの議院内閣制は、今も日本の政治制度の手本であり続けると思う。

「戦国時代と大航海時代」平川新著 中公新書2018/06/11 11:14

中世における世界進出を進めるスペインとポルトガル。この時代はインドや東南アジアの国々が植民地化されている。多くの住民も虐殺されている。ところが、日本は全くそういうことはなかった。
また、豊臣秀吉の朝鮮出兵についてはその理由が諸説あり定まっていない。

これらの疑問に、明確に答えたのが本書である。また、この時代の世界との交流が、次々と明らかにされ、我々が思っていた以上に世界とのつながりがあったことに新鮮な驚きを覚える。

まず、秀吉の朝鮮出兵。本書によれば、秀吉はポルトガルとスペインによる世界征服への動きへの対応の表れだったという。その理由として、フィリピン総督やポルトガル国王に対し明国征服の野望を強い口調で知らせているのである。そしてこの朝鮮出兵という巨大な軍事行動がスペイン勢力に恐怖心を与え、アジアの軍事大国としてヨーロッパでも知名度を上げることになり、これが日本が植民地化されなかった理由の一つである。

さらに、本書では伊達政宗に注目する。伊達政宗は、家康の時代、慶長遣欧使節として支倉常長をスペイン国王とローマ教皇のもとへ派遣する。この時代家康はキリスト教禁止令を発令していた。にもかかわらず政宗は伊達領でのキリスト教布教を認め、宣教師の派遣を要請していたのである。ただ、スペインは貿易に応じるよう条件として日本全国での布教の保証を譲らず交渉がうまくいかなかったため、支倉の報告を受けて、間を置かずに伊達は領内に禁教令を布いたのである。

また、イエズス会宣教師がこの時代奴隷貿易に関与していた、宣教師たちは軍事力を持ち日本征服を考えていた、当時の将軍は海外からは皇帝とみられていた、など興味深い話がいくつも出てくる。

本書を読んで、パズルのピースがぴったり当てはまったような心地よさを感じる。
加えて、世界史と日本史との関連性も理解しやすく、トリデシャリス条約と日本の関係やカトリックとプロテスタントの関連と日本への布教活動の動き、そしてなんといってもこの時代の日本がいかにうまく世界と渡り合っていたのかまでつかむことができ、爽快感さえ覚える本となっている。

中世の歴史がますます面白くなる一冊である。

「幕末史かく流れゆく」中村彰彦著 中央公論新社2018/06/13 08:38

明治150年の節目にあたり、幕末史を振り返る著作が多く出版されているが、本書もその一つである。
見開き1ページで読み切れるような構成になっており、かつ作家らしく著者独自の視点から描かれており、わかりにくい複雑な明治維新に向かっていく動きが手に取るようによくわかる。

いくつか興味を惹かれたところをあげる。
~明治維新への動きへのきっかけとなったペリー来航。この時の老中主座阿部正弘、相談を受けた水戸藩前藩主徳川斉昭ともになすすべもなかった。1年後に再来航を宣言して江戸湾を立ち去ったが、水戸藩には攘夷思想が根付いていた。
~日露和親条約の際に交渉に当たったのは、川路聖謨であったが、交渉上手でかつプチャーチンから信頼された。
~井伊直弼の無勅許調印は、英仏の日本進出をおそれ、内憂よりも外患を先に片付けようとした直弼の判断だった。
~コレラは長崎、大阪と異人たちに対して開かれて土地を経由し、やはり開市された江戸の海辺で大流行したことは、異人たちがコレラを持ち込んだことを示していた。

なお、本書では、西郷隆盛について独自の見解を持って書いている。
~安政の大獄の当時、在京の西郷は彦根城襲撃策を江戸にいる同僚に手紙を書いている。当時から暴力革命論者であった。
~禁門の変で名をあげた西郷吉之助は、長州追討総督尾張藩前藩主徳川慶勝から相談を受けると、新たな雄藩連合を考え、実際に長州藩相手に開戦して負けたりしたら幕府の権威を失墜させる。よって毛利に穏やかに降伏謝罪を促すのが得策と考え、回線をせずに勝ちを制する策を着想した。
~その後、長州藩は西郷吉之助経由で南北戦争が集結したアメリカからイギリス人商人グラバーを通じて高性能の銃器を購入した。
~また、大政奉還のための薩摩土佐盟約を結ぶ一方、薩摩藩浪士約五百人を江戸の薩摩藩邸に集めさせ辻切りや強盗を行わせた。
~「江戸で銭強盗が罪もない商人たちを殺すことを黙認していた西郷が、京では龍馬暗殺に動いた可能性はより深く検討されてしかるべきだろう。」
~大政奉還後の慶喜の扱いについて、公武合体派の山内容堂との会議が難航すると、西郷が岩倉具視に対し最後の手段を取るように伝え、この話が容堂に伝わり、慶喜の辞官納地が決定した。

また、著者独自の視点として2点あげられる。
一つは、倒幕の密勅とされる文書は、岩倉が国学者に書かせたもので、天皇が発した詔書の形式が整っておらず明らかに偽勅である。したがって、明治政府は偽勅で誕生したというのである。
もう一つは、明治以降薩長主体の東軍を官軍、東軍を朝敵と決めつける順逆史観が登場し、それ以来東北蔑視の感覚は現代に続いているというのである。

いずれにせよ、明治維新を改めて概観すると、多くの戦いと犠牲者があり、謀略も渦巻いており、決して無血革命などという綺麗なものではなかったことが良くわかる。

「ダーウィンエコノミー」ロバート・H・フランク調 日本経済新聞出版社2018/06/15 07:53

個人の利益と集団の利益が相反する場合に、ダーウィンの理論を応用して独自の理論を展開している。
すなわち、自然選択の理論において、アメリカアカシカのツノを例に挙げ、個の利益が種の不利益となることがあり、個体レベルでの競争優位性は必ずしも種の生存にとって好ましいものではないという事実を応用し、背景を考慮しない旧来の経済理論を批判する。
これに加えて、行動経済学の理論やコースの理論を組み合わせて、本書はほぼ一貫として、アメリカにおける規制反対の立場をとるリバタリアンの主張への反論に彩られている。

例として、
・財政赤字により道路舗装をアスファルトから砂利道に格下げしているが、結果として自動車の損傷や死亡事故の発生により、むしろコストがかかっていることを指摘。
・政府が借金で支出を増やすと「消費者はそのツケは将来の税負担となると考え今消費しなくなる」という反対論に対し行動経済学の立場から批判を展開。
・軍拡競争を例に、互角の二国が際限ない軍拡に突き進んむ事例を挙げ、互角の軍拡競争が無駄であり多国間の軍縮協定が全員にとって利益になるとしている。
・高額所得者への減税の議論の中で、減税は雇用創出促進の効果があるとされたが、雇用の増加によって利潤が増加しない限り雇用は増やさないとする。
・さらに、気候変動とCO2課税、渋滞料金の徴収、タバコ税、酒税など間接的に害を及ぼす課税の効果を検証している。

また、著者独自の提案として、累進的消費税を取り上げていることは注目に値する。この税は、消費税の逆進性の問題を解決するとともに、他人を害する行動を控えさせることができるという。

ダーウィンの理論からの経済学への応用というと、環境に適応したものだけが生き残るという適者生存に目が行きがちであるが、本書のように個人と集団の利益が相反した時の解決策としての考え方もあるという議論に新鮮さを感じた。

「トマト缶の黒い真実」ジャン・バティスト・マレ著 太田出版2018/06/25 10:47

何とも衝撃的な本である。トマト缶の誕生から現在の中国産のトマトが世界市場を制覇するまでをたどる内容で、現地を歩いて取材した生々しいルポルタージュに説得力がある。

まずは、中国は世界最大の濃縮トマト輸出国という話である。
そのトップは、世界中の大手食品メーカーに濃縮トマトを供給している新疆ウイグル自治区にあるコフコグループ(中糧集団有限公司)で、ハインツ、ユニリーバ、ネスレ、キャンベルそしてカゴメ、デルモンテまで取引先としている。
また新疆ウイグル自治区では、幼い子供も働かされるなど過酷な労働条件で収穫され、イタリアから技術移転された機械でドラム缶入り濃縮トマトが加工生産されている。
そして現在では圧倒的な低価格で、世界各国のトマト加工工場を駆逐し、イタリアでは中国からの3倍濃縮トマトを再加工して詰めなおしイタリア産のラベルを貼りなおして再輸出するような方法が一般的になっている。この再輸出手続きにはEU関税がかからないという。

さらに、このイタリアで輸入された3倍濃縮トマトの消費期限切れドラム缶については、別の容器に移し替えたうえでアフリカに輸出されているという。

そして、この中国産濃縮トマトにはさらに衝撃的な話が出てくる。
缶の表示には、原材料トマト、塩としか表示されていないのに、実は大豆食物繊維、デンプン、デキストロース、そして着色料が添加され、増量されている現場を取材している。そしてこの増量の割合がすさまじい。なんとトマト31パーセントに対し添加物69パーセントというものまである。
極めつけは、酸化して黒く変色したトマト通称ブラックインクまで添加物によって再生しているというものである。

それにしても、グローバル化の行きつくところの最終形態がこのような形になっているとは、絶望的な気分になる。
もはや、トマト缶を口にする気にはなれない。

「遺伝子(下)」シッダールタ・ムカジー著 早川書房2018/06/28 08:42

「不完全な世界は我々の世界」
冒頭で著者は、詩人ウォレス・スティーブンスの言葉を引用しているが、これが本書の要旨となる。

下巻では、遺伝子解読、ポリメラーゼ連鎖反応(PCR)、そしてクリスパーキャス9による遺伝子改変などがテーマとなる。

以下興味の引かれた言葉を引用する。
「健康を定義するために病気が使われ、異常が正常の境界を定め、逸脱が適合の境界を定める。鏡文字を介した結果、医師の目に映るヒトの身体は壮絶に歪んでしまう可能性がある。」
「確実に言えることは、危険な海峡の横断を生き延びた人類はごくわずかだったということだ。ヨーロッパ人や、アジア人や、オーストラリア人やアメリカ人はこうした凄まじい難関を生き延びた人々であり、この試練に満ちた歴史もまた、我々のゲノムにその痕跡を残している。」
「一番最近の推定によれば、遺伝的多様性のほとんどは、いわゆる人種の内部で見られ、ごくわずかな割合だけが人種間で見られることがわかっている。…このように、人種間の多様性が非常に高いために人種というのはどんな特徴の代わりにならないほどお粗末な概念と言える。」
「ヒトの多様性をどう分類し、どう理解すればいいのかを遺伝子が教えてくれることはない。しかし、環境や、文化や、地理や、歴史は教えてくれる。我々の言語は遺伝子と文化とのあいだのこのずれを捉えようともがきながらも混乱している。ある遺伝子多型が統計学的に最もありふれている場合には、我々はそれを正常と呼ぶ。…このようにして我々は遺伝子多型に言語的な差別を差しはさみ、生物学に欲求を混ぜ込む。」
「20世紀初頭の遺伝学がそうであったように、エビジェネティクスは今、ニセ科学を正当化し、窮屈な定義を押し付けるために使われようとしている。」
「大きな苦しみを定義するのは、私たちであり、正常と異常の境界線を引くのも私たちだ。介入という医学的選択をするのも私たちであり、正当化できる介入とはどのようなものかを決めるのも私たちだ。」
「正常とはなんだろう?親が正常な子供を選択するというのは許されることなのだろうか?介入というまさにその行為によって、異常のアイデンティティが強固なものになったらどうなるのだろう?」
「我々は今、ヒトゲノム工学における同様の瞬間に、つまり、胎動が始まる瞬間に立ち会っている。以下の段階を順に考えてみよう。(a)本物のヒトes細胞を樹立する。(b)精度の高い手法によって、そのヒトes細胞株の遺伝子を意図的に改変する。(c)遺伝子を改変したそのes細胞からヒトの生死や卵子を形成する。(d)遺伝子を改変したその精子と卵子を体外受精させてヒト胚を作る…すると、かなり簡単に遺伝子改変人間が誕生することになる。」

そして最終章で著者はこう述べて締めくくる。
「しかし実際のところ、何が自然なのだろう?一方では、自然とは、多様性、変異、変化、不定、可分性、流動性であり、また一方では、不変性、永続性、不可分性、正確性である。矛盾する分子であるDNAが、矛盾する個体をコードしているというのは当然のことのように思える。我々は、遺伝に不変性を求め、反対のもの、そう、多様性を見つけるのだ。」

深く考えさせられる著作である。