「健康不安社会を生きる」飯島裕一編著 岩波新書2009/12/06 22:42

本書は、信濃毎日新聞へ連載した記事をまとめ直したものであるが、咋今の行き過ぎとも思える健康ブームに警鐘を鳴らした本に仕上がっている。

 本書の冒頭に、WHOの「健康」の定義として「異常がない状態」とされており、ここに現代の健康至上主義の根本があるという。

 医療費削減のために導入されたメタボ検診も、政府が決めた根拠のない腹囲を基準にすることにより健康不安ブームをあおっているばかりか、むしろ医療費の増加につながりかねないとしている。

 また、納豆ダイエットに見られるような過度な健康情報だけはもちろん、自然天然植物性なものは良くて人工動物性は良くないという風潮も「フードファディズム」として指摘しているのは興味深い。確かに、自然天然なものでも害のあるものはあるのは事実である。

 本書を通じて、多くの識者に共通しているのは、どのような食物もほどほどに、無理をせずに自然体として摂取することが大切だということであろうか。

「マイクロファイナンス」菅正広著 中公新書2009/12/09 20:38

あの、ノーベル平和賞を受賞したムハマド・ユヌスにより、有名になったマイクロクレジットについて、貧困の進むこの国での啓蒙のために書かれた本である。

当初は、発展途上国にこそ見合う仕組みだと思われていたが、ヨーロッパの諸国での導入も進み、我が国でも小規模ながら行っている機関もあると初めて知らされた。

本書ではいろいろな方式でのマイクロファイナンスを紹介しているが、著者は民でも官でもない第三の方式を提言している。
 そういう意味で、本書でも触れられているが今や唯一の官の金融機関となった日本政策金融公庫の可能性には期待したい。

本書で触れられているとおり、この国ではGDPの水準が上昇しているにもかかわらず、「幸福感」は戦後一貫して横ばいを続けてきた。本書で紹介されているアダムスミスの一節「自分たちの剰余は人に施すことによって幸せになれる」という考え方に新鮮な感動を覚えた。

東大卒の大蔵官僚であった著者の経歴からすれば、このような考え方をぜひこの国に広めていってほしいし、併せてこの国の貧困の解消に果たす役割には期待したい。

「始まっている未来」宇沢弘文、内橋克人 岩波書店2009/12/13 14:55

本書は社会派経済学者として知られる宇沢弘文教授と内橋克人氏の未曾有の経済危機を踏まえて新たな経済学の可能性を探った対談集である。

リーマンショックをきっかけとして不況下にある世界経済により、最も大きな影響を受けた日本。
 それをたどると、戦後の日本は、実質的なアメリカによる植民地化政策によって収奪をつづけられてきたことから始まっているという。
 特に内需拡大という美名のもとに630兆円という巨額の生産性を上げない公共投資をアメリカから約束させられ、借金漬けになって身動きが取れなくなっているこの国の今に至る姿の源流を解き明かしている。

さらに、アダムスミスにはじまる経済学の思想史をたどりながら、フリ-ドマンによって行き過ぎた市場原理主義にいたり破綻してしまった経済学の限界を示し、21世紀型の新たな経済学への考察を加えている。

本書の補追に、「社会的共通資本と21世紀的課題」として環境、医療、教育、都市、農村などに多くの示唆に富んだ21世紀へのヒントが込められている。

さまざまな課題が複合的に重なり合って、先の見えない現代に一つの光を与えてくれる思想である。

「自動車産業危機と再生の構造」 下川浩一著 中央公論社2009/12/18 19:05

わずか数年前の世界的な大再編劇を経て、リーマンショックをきっかけに急激に危機に陥ったビッグスリーの分析から始まり、新興国市場として中国、インド、そしてASEANに至る詳細な分析と将来への展望は、長らくこの業界を見つめてきた著者だから言える説得力のある本に仕上がっている。

また、本書の最後にある近未来の自動車産業についての著者の見解は、環境対策とコストの両立した車をいかに開発するかにかかっているという。
 そこで引き合いに出されているのが、あのマスキー法への日本車の挑戦への道のりである。一方で、ビッグスリーは政治力を駆使しながら、根本的な手を打たず今日の破たんに至ったとしている。

今この国の自動車産業は、急激な需要の落ち込みに、国を挙げての支援に乗っかっているように見えるが、新たなチャレンジがなければ、衰退への道は意外に早いのではないか。

再びあの時代のチャレンジ精神を持って、新たな課題を解決してほしいと考えさせられた。

「住宅の貧困」本間義人著(岩波新書)2009/12/27 15:51

たびたびの政策変更による現場への影響は、一般の新聞記事からはわからないことがしばしばある。本書もその典型である。

本書にあげられている事例は、すでにある公共団地も市場化への流れを加速している実態である。
 かつての住宅公団を衣替えしたUR。老朽化した団地を建て替え、大幅に家賃を引き上げて、収益をあげるためにそこに住んでいる住民さえも強制執行により立ち退きを迫る姿は、民営化したとはいえとても公共的機関とは思えない。同様に、東京都住宅供給公社が販売した超高層住宅など、かつての都営住宅のイメージからおよそ考えられないものである。
 また、一人暮らしの老人の増加と孤独死の増加とコミュニティの喪失など、大規模団地で進む高齢化も目を覆うばかりである。 一方で、「年越派遣村」であれほど注目されながらも、そこで斡旋された雇用促進住宅などは、立地の不便さからほとんど掛け声倒れに終わっている事実。
 生活保護受給者へ民間業者が入り込んで、貧困ビジネス化している事実などなど。

「無駄の削減」という美名のもと、この国には、民間にできることは民間にという掛け声の元に推し進められた住宅政策の結果、若者たちを中心にハウジングプアと呼ばれる層が出現している現実に、考えさせられてしまう。

そういうなか、本書に紹介されている諸外国の住宅政策には参考としたい事例が多く、この国の住宅政策の転換へのきっかけのために一石を投じてくれるよう期待したい。