「寄生虫なき病」モイセズ・ベラスケス=マノフ著 文藝春秋2014/07/20 17:51

本書は、人間の免疫系に欠かせない存在として、寄生虫や腸内細菌の役割を取り上げた本である。
最新の研究成果がいくつも取り上げられている。

  まずこの本で示されるのは、多くのアレルギー症状が衛生状態の改善された国(つまり先進国)で発生しているという事実である。
 そして、その自己免疫反応によるアレルギー症状は、もともと人類と長らく共生していた寄生虫や腸内細菌を取り込む事によって、寛解するという事実がいくつも示される。
すなわち、花粉症をはじめ、喘息、炎症性腸疾患、クローン病(潰瘍性大腸炎)、食物性アレルギー(アナフィラキシー)、多発性能硬化症、そして心臓病、自閉症、ガン、うつ病まで炎症の増大・免疫制御能力の弱体化、によるという。

驚く話が次から次へと出てくる。
 特に興味をそそられたのは、ピロリ菌に関する章である。
世界人口の半数がピロリ菌に感染している。しかし、アフリカなどの発展途上国では、消化性潰瘍や胃癌がほとんど見られない。つまり、一概に、ピロリ菌が胃潰瘍や胃癌の原因ともいえないというのである。
 また、ピロリ菌感染者は、非感染者に比べて結核を発病する人はほとんどいないというから、むしろ人間にとって利益ともなっているようでもある。
加えて、喘息と抗生物質使用との関連も指摘される。抗生物質による腸内細菌の現象が疑われるというわけである。炎症性腸疾患にも同様のパターンが当てはまる。
さらに、腸内細菌とジャンクフードの実験も興味深い。
マウスにジャンクフードを食べさせる実験を行ったところ、腸内細菌の構成が変化し、摂取したカロリーを取り込んで脂肪として蓄える能力が向上し、軽度の全身性炎症が進行し、その結果、インスリンに対して抵抗性を持つよになり、ついには糖尿病を発症したというのである。
ここで、体内生態系を一挙に回復させる驚きの方法として、糞便移植という治療法も紹介されている。
抗生物質耐性菌が腸内に感染して深刻な下痢症状に悩まされていた女性が、夫の便を大腸内に注入したところ、二日で固形になり、二週間で回復、半年で完治したという。

また、タンパク質には数万種類あるのにその中のたった十種類でアレルゲンとして知られているものほとんどが網羅されてしまう。このタンパク質は、内部寄生虫及び外部寄生虫を構成しているタンパク質であるという。
つまり、寄生虫がいなくなった現代人は、攻撃するべき相手がいなくなり、アレルゲンに反応してしまうというわけである。
農家の子供のアレルギー疾患有病率は同じ地域の非農家の子供の有病率の3分の1で、アレルギー感作は、飲料水に含まれる微生物の数に反比例するという研究成果が説得力を持って示される。

もしかしたら、今までの常識をひっくり返すくらいの大きな医療革命につながるのかもしれないとも予感させる。

著者自身、自己免疫疾患のひとつである全頭性脱毛症となり、自ら寄生虫に感染してその治療を試みてその結果を披露している。

巻末に、福岡伸一が寄稿している。
「我々の生活の中で顕在化している「不在による病」、全ての人の健康にとってすぐそこにある危機に他ならない。私たちの清潔幻想に警鐘を鳴らす大変な問題作である。」

われわれは、行き過ぎた清潔の代償にとても大切なものを失ってしまったのではないかと感じる。

「誤解学」西成活裕著 新潮社2014/07/27 08:30

渋滞学で著名な、西成氏の新刊。
「誤解」が生じる過程を、科学的な分析で明らかにしていく作業がユニークである。
身近な事例も豊富に取り入れられて、面白く読むことができる。

本書の独創的な考えとして、表面合意、解釈合意、真意合意という合意の定義により同じ合意でも程度の違いがあることや、「頑固度」によって思考が変化していく度合いを設定するなど人間同士のコミュニケーションの過程を科学的に分析しているのは画期的である。
・また、誤解をコミュニケーションの渋滞とも定義し、送り手の問題と受け手の問題に分けて整理し、誤解しやすいパターンをわかりやすく分析し、正確な情報の伝え方を提示している。

経済についても、興味深い考えを示している。
日銀が行なっている金融政策、資源の有限性、成長を前提とした資本主義の限界などについての疑問を提示し、「有限の中でモノと金をうまく回していく社会」への転換を提唱している。
加えて、バケツリレーを例に三割空けることが一見損に見えても将来得になるという「科学的ゆとり」の必要性も説得力がある。
さらには、TPP交渉や温室効果ガス削減などの国家間の合意形成についても、示唆に富むコメントをしている。
行動科学的な要素を取り入れ、ゲーム理論の発展型とも言える理論だけに、今後の著者の研究に期待したい。

最終章の著者の言葉が印象的である。
「誤解とは、単一化を避け多様性を確保する人間社会のメカニズムであり、必要悪とも言えるものであろう。…誤解は社会安定のための重要な機能とも言える。…そしてこれが、文学、芸術、科学技術、政治、経済など私たちの様々な社会活動の根底にあるものなのだ。」

「労働時間の経済分析」山本勲、黒田祥子著 日本経済新聞出版社2014/07/27 18:06

本書は、公的な統計データの分析を通じて日本人の労働時間に関する詳細な分析を行ったものである。
どちらかといえば学術書に近く専門的な統計分析と数式があって通読にやや難があるものの、その主張は非常に明確である。

すなわち、OECDのデータによればわが国の労働者一人当たりの労働時間は減少傾向にあり、国際的に見てもアメリカやイギリスとほぼ同レベルまで下がってきているように見える。
ところが、その中身を見ると、その現象の要因は主にパートタイム労働者の増加によるものであって、フルタイム労働者の平均労働時間は25年前とほぼ変わっていないという。

そこで、なぜ日本人のフルタイム労働者の労働時間が減少していないのかを分析し、「余暇を楽しむよりも多くの所得を稼ぎたい」というよりは、長時間労働が評価されるような職場環境が影響しているという。これは、外国に転勤した日本人の労働時間が短くなっていることからも言えるとしている。
加えて、企業側から見ても、採用、解雇や教育訓練にかかる労働の固定費が大きいために、雇用者数を増やすよりも労働時間を多く需要する傾向がある。不況期にも解雇のハードルが高いため、少ない労働者で長時間労働させるというインセンティブが働くという。
また、長時間労働とメンタルヘルスの問題にもメスを入れ、特にサービス残業という側面が強くなると労働者のメンタルヘルスが悪化する危険性が高くなるという。

一方で、企業によるワークライフバランス施策が企業の全要素生産性(TFP)に与える影響を検討し、一定の条件のもとであれば中長期的にTFPの上昇の可能性があると指摘している。

以上の分析を通じて著者は、わが国では望ましい姿に働き方が移行するためには相当な時間を要するという懸念を表明している。

本書の問題提起が、多くの企業や国の政策にも反映されることを切に願うのみである。