「21世紀の貨幣論」フェリックス・マーティン著 東洋経済新報社2015/02/08 08:06

古今東西を駆け回り、マネーがどのように生まれたのか、その歴史と理論をめぐり独特の世界観を示しながら深く考えさせる、刺激的な本である。

本書は、ヤップ島のフェイと呼ばれる石貨から始まる。一見原始的に見えるこの貨幣が実は、高度の発達したマネーであることを明かす。
「取引は盛んに行われるが、取引から生まれる債務は取引の相手との間で相殺される。相殺後に残った債務は繰り越されて、次の交換に使われるがフェイそのものは交換されることはない。」
「ケインズは、ヤップ島の住民はマネーの本質を明確に理解していると称賛したが、フリードマンも同様に賞賛している。20世紀を代表する二人の経済学者の賞賛を勝ち取ったとなれば、これは何かあるはずだ。」

著者は現代のマネーへの考え方に決定的な役割を果たしたのが、ジョン・ロックであり、彼の考え方を現代まで引きずっていることが問題だとする。
17世紀のイングランドでは、完全重量銀貨が流通していたが、金属の市場価値が上がると硬貨ではなく銀として取引されてしまうために、貨幣の流通量が減少した。このため、銀の含有量を減少させる提案がなされたが、ロックはこれに反対する。結果として、硬貨の流通がなくなり、デフレに突入する。
銀がなくなると今度は、ポンドを金の一定重量を表現するものとして再定義したのである。
すなわち、ロックは、マネーを金や銀などの実物の価値のある物と結びつけるというこのロックの貨幣観が、市場に鑑賞しないことを合理的な人間の倫理上の義務として扱う経済学に引き継がれていったと著者は言う。
この考えを引きずっている経済学はマネー社会の不安定さを生む社会と政治の問題に対する答えを出すことができないでいるとしている。

一方、著者は独自の視点で著名とはいえない人物に注目する。
1人は、14世紀のスコラ学派のニコル・オレーム。
彼は、それまでの貨幣は君主のものという考え方を、マネーを使用する共同体全体の所有物だとした。金融政策には富と所得を再分配する力や取引を抑制したり刺激する力があることから優先するべきは君主の歳入ではなく、共同体全体の商業活動であると説いた。

また著者はあの史上最大の詐欺師とも呼ばれているジョン・ローに注目する。すなわち、初めて貨幣を一定量の貴金属との交換という裏付けを断ち切り、ペーパーマネーとした人物であるという位置づけとしてである。
つまり、「すべての所得と富は生産性の高い経済から生じる。マネーが究極的に表現するのはこの所得に対する請求権だけである。ところがこの所得は不確実である。リスクをベールで覆い隠すのではなく、マネーを使うすべての人にリスクをはっきり示してそれをすべて負わせるというエクイティマネーの誕生である。」

また19世紀、金融危機下にあったシティを描いた「ロンバード街」を著したバジョットも登場させる。それは、以前の古典派の抽象的な経済学とは異なり、マネー経済の現実に合わせて理論を構築していること、金融を出発点としている経済学であるという認識である。
そして、信頼を基礎として成り立っているが故に、大事件が起きれば信頼がほぼ崩れ去る懸念もある。つまり、信頼と信任という社会に内在する属性が非常に重要であり、ここにそれまでの経済学と大きく異なる視点があるとする。
このため、マネーの安全性や流動性に対する信任が揺らいだときにいつでも無制限に貸し付ける用意を整えること、これが予防的な金融政策の原理原則であるとしたのである。
そしてこの認識が、今回の世界金融危機の際の参考になったという。

最後に、著者の改革案である。
これはフィッシャーの提言を取り入れ、マネーと金融を抜本的に改革するというものである。すなわち、ナローバンキング制とし、銀行は預金者が引き出したり支払いに使う決済預金のみを取り扱う小切手銀行として分離し、それ以外の業務については、国の支援や監視を一切受けない。約束が守られなければ投資家は救済されない。
そしてもう一つ。現在のマネーをめぐる問題は、その背後にある経済学を一から作り直す必要があるともいう。
加えインフレターゲティング信仰を捨てよとする独特のの貨幣観を提示する。「たくさんの国で金融の不均衡が持続不可能な次元に達している。この債務の山を時間をかけて解消とするやり方は政治的に不可能だし、経済的に望ましいことではない。数年間高インフレを起こすか債務そのものを再編することがこの問題に直接対処できるようになる。」

著者は最後に言う。
「マネーを管理しているのはあなただ。」