「しんがりの思想」鷲田清一著 角川新書2015/08/02 20:24

副題に反リーダーシップ論とある。と言っても、組織論に関する本ではない。独自の視点で今の日本を憂い、市民性の復活を願うエッセイ集である。

いくつか、印象に残った言葉がある。
「その人たち(=政治家たち)は、次の世代が経済を回すための需要を経済成長の名で先食いしようとしている。」
「2013年の秋に人口減少をめぐるレポートが公表された。…そこから地方中核都市への地方交付税の集中的な配分が必須だと言うのだが、これは出生率が地方・農村で高くて大都市圏で低下してきている事実からしても危うい政策だろう。」
「日本社会は明治以降近代化の過程で、…地域社会における相互支援の活動を国家や企業が公共的なサービスとして引き取り市民はそのサービスを税金やサービス料と引き換えに消費するという仕組みに変えていった。…西欧がそうした相互支援の活動を行政機構と個人の間にある中間集団に残しておいたのとは対照的に。」
「では、トラブルが起こった時、サービスが劣化した時に私たちにできることは何か。皮肉にも行政やサービス企業の担当者にクレームをつけることだけなのである。」
「コミュニティの再建ということで今必要なのは…各人があの押し付けとおまかせという安楽の貪りとその惰性を超えて地域社会の運営に関与していく当事者性をどのように取り戻して行くかの構想と方法論である。」

以上の議論を踏まえて、宇沢先生の社会的共通資本の考え方を使って、市民の関わりを取り戻すことを提言する。
この市民性の発揮にあたって、フォロワーシップ(しんがりの思想)ともいうべき行動が重要となると説く。
と言っても、受身ではなく、
「リーダーに、そしてシステムに全部を預けず、しかし自分が丸ごと引き受けるのでもなく、いつも全体の気遣いをできるところで責任を担う。そんな伸縮可能な関わり方」を説いている。

もう一つ惹かれた言葉が、「押し返しの思想」である。
特に次のような文章が心に残った。
「お金とはどんな社会に一票を投じるかということである。お金という対価を通じてそれを売る人、作る人を支持し、応援する行為である。」

「消費させられる」から、「選ぶこと」への転換という考え方に、新たな視点を感じる。

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