「幕末史かく流れゆく」中村彰彦著 中央公論新社 ― 2018/06/13 08:38
明治150年の節目にあたり、幕末史を振り返る著作が多く出版されているが、本書もその一つである。
見開き1ページで読み切れるような構成になっており、かつ作家らしく著者独自の視点から描かれており、わかりにくい複雑な明治維新に向かっていく動きが手に取るようによくわかる。
いくつか興味を惹かれたところをあげる。
~明治維新への動きへのきっかけとなったペリー来航。この時の老中主座阿部正弘、相談を受けた水戸藩前藩主徳川斉昭ともになすすべもなかった。1年後に再来航を宣言して江戸湾を立ち去ったが、水戸藩には攘夷思想が根付いていた。
~日露和親条約の際に交渉に当たったのは、川路聖謨であったが、交渉上手でかつプチャーチンから信頼された。
~井伊直弼の無勅許調印は、英仏の日本進出をおそれ、内憂よりも外患を先に片付けようとした直弼の判断だった。
~コレラは長崎、大阪と異人たちに対して開かれて土地を経由し、やはり開市された江戸の海辺で大流行したことは、異人たちがコレラを持ち込んだことを示していた。
なお、本書では、西郷隆盛について独自の見解を持って書いている。
~安政の大獄の当時、在京の西郷は彦根城襲撃策を江戸にいる同僚に手紙を書いている。当時から暴力革命論者であった。
~禁門の変で名をあげた西郷吉之助は、長州追討総督尾張藩前藩主徳川慶勝から相談を受けると、新たな雄藩連合を考え、実際に長州藩相手に開戦して負けたりしたら幕府の権威を失墜させる。よって毛利に穏やかに降伏謝罪を促すのが得策と考え、回線をせずに勝ちを制する策を着想した。
~その後、長州藩は西郷吉之助経由で南北戦争が集結したアメリカからイギリス人商人グラバーを通じて高性能の銃器を購入した。
~また、大政奉還のための薩摩土佐盟約を結ぶ一方、薩摩藩浪士約五百人を江戸の薩摩藩邸に集めさせ辻切りや強盗を行わせた。
~「江戸で銭強盗が罪もない商人たちを殺すことを黙認していた西郷が、京では龍馬暗殺に動いた可能性はより深く検討されてしかるべきだろう。」
~大政奉還後の慶喜の扱いについて、公武合体派の山内容堂との会議が難航すると、西郷が岩倉具視に対し最後の手段を取るように伝え、この話が容堂に伝わり、慶喜の辞官納地が決定した。
また、著者独自の視点として2点あげられる。
一つは、倒幕の密勅とされる文書は、岩倉が国学者に書かせたもので、天皇が発した詔書の形式が整っておらず明らかに偽勅である。したがって、明治政府は偽勅で誕生したというのである。
もう一つは、明治以降薩長主体の東軍を官軍、東軍を朝敵と決めつける順逆史観が登場し、それ以来東北蔑視の感覚は現代に続いているというのである。
いずれにせよ、明治維新を改めて概観すると、多くの戦いと犠牲者があり、謀略も渦巻いており、決して無血革命などという綺麗なものではなかったことが良くわかる。
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