「退屈」ピーター・トゥーヒー著 青土社2011/10/24 10:33

本書はその題名のとおり、「退屈」について古今東西の文学、絵画、そして科学的研究成果までも盛り込んだ異色の書物である。

本書によれば、退屈には単純な退屈と実存の退屈がある。
すなわち、単純な退屈は単にあくびやひじやまなざしくびなど見た目でわかる状態であり、医学的には神経伝達物質であるドーパミンの不足から生じる現象である。なかには生まれつきドーパミンが不足しているひともいてドラッグや飲酒などの傾向とも関連しているという。

一方の実存の退屈が本書のメインテーマである。
やはり実存といえば、サルトルであり、その文学にも詳細な考察が加えられている。
この実存の退屈こそ、現代人の抱える退屈といえる。

その反例としてアボリジニをあげている。
アボリジニは瞬間の中に存在しようとする能力と意思があり退屈のない世界に生きていた。実際アボリジニの言葉に退屈という語はないという。
ところが、現代文明の様々な労働の軽減にともなって、実存の退屈という状態が生まれた。これは、ヨーロッパ啓蒙主義時代にはじまる。

しかしこの実存の退屈が生まれたから、多彩な文化が花開いたともいえる。
退屈こそ、陳腐になった視点や概念への不満を育てるものであり、創造性を促進するものという。
まさに、「退屈」こそ今の豊かな文化の生みの親である。

「高速道路なぜ料金を払うのか」宮川公男著 東洋経済新報社2011/10/24 21:20

高速道路が政争の具にされて久しい。
特におかしくなったのは、言うまでもなく民主党のマニフェストである。

本書は、この高速道路無料化の議論へ真っ向から反論を展開し、さらに歪められてしまった民営化の過程までも詳細に追った本である。

著者の議論は至って明快でわかりやすい。
すなわち、高速道路とは郵便の速達や鉄道の特急のように速く移動するための便益を提供するものである。
その便益に対する対価として徴収するのが高速道路料金である。
したがって、その料金は建設費用が償還されてから無料化されるような性格のものではなく、まして一般道路のように無料化による慢性的な渋滞を招くような性格のものでもない。その維持補修費用も含めて永久に支払われるべきものである。
そう考えれば、その料金も今のような高額なものとはなりえない。十分引き下げが可能である。
というものである。

高速道路料金は、いまや休日1000円や無料化社会実験など身近な話題に歪小化されてしまった感があるが、迷走した民営化の議論の果てに新直轄方式や機構の設立など恐るべき後世への壮大なつけ送りの仕組みがつくられてしまったのだと愕然とする。

今、高速道路とはどうあるべきなのか、公共とは何かを改めて問い直しており深く考えさせられた。