「近代日本一五〇年」山本義隆著 岩波新書2018/05/11 10:18

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明治以来の日本の科学技術のキャッチアップから破綻に至るまでを、数多くの文献によってたどっている。新書ながら、多くの知見に富んでおり教えられるところが多い上に、著者独自の歴史観が随所に示され、考えさせる本となっている。

以下、印象に残った箇所を抜粋する。
「欧米の科学と技術が本格的に学ばれるようになったのは、1842年に中国がアヘン戦争で英国に敗れた直後からである。当時、欧米列強の艦隊の日本沿岸への接近が頻発していたことに加えて、強国だと思われていた清朝中国が近代兵器を装備した英国軍隊にあえなく敗北したことは、日本の支配層に軍事力の優秀さを印象付けるとともに多大なる危機感を与えることになった。」
「西欧の技術を科学技術と捉えた明治日本は、そのことで科学を技術のためのもの、いうならば技術形成の妙法と矮小化することになったが、逆に技術に対しては過剰に合理的なそして過度に協力有効なものとして受け止め、受け入れることになった。」
「福沢自身、その過大なる科学技術幻想に囚われていたのであり、その幻想は以後150年にわたって日本を呪縛することになる。」
「まさにその絶妙のタイミングで日本は西欧科学の移植を始めた。このことが次の時代つまり20世紀初頭の…世界に足跡を残しうるだけの先端的な研究が生まれることになる背景であった。」
「物理学の場合と同様に、技術の場合も日本が比較的短時間で西欧技術の習得と移転に成功した理由の一つにはやはりそのタイミングの良さがある。…蒸気と電気の使用によるエネルギー革命が欧米で起こってから明治維新までせいぜい半世紀、追いつくことのギリギリ可能な時間差であった。」
「生産設備の稼働率を上げるための女性や幼年者の2時間交代の深夜労働は、産業革命期の英国にもなかった。日本綿糸の競争力の基礎的条件は、アジア的低賃金と西洋の最先端技術の結合にあった。」
「日清日露戦争により満州の鉄と石炭を確保し、ようやく製鉄製鋼・造船・機械工業が発展する条件を確保し、官営八幡製鐵と民営釜石製鉄所でも鉄鋼一貫生産が軌道に乗り、さらに朝鮮を植民地として獲得し、日本が帝国主義国家となったこの時点で、日本は同時に産業革命を終了した。」
「第一次大戦によって科学技術と技術開発は国家の重要な機能とみなされるようになった。その目的において軍事の比重が格段に増していった。」
「欧米に比べて大きく立ち遅れていた日本の自動車産業の成長を促したのは市場原理ではなく軍事的要因であった。」
「もともとは欧米資本主義の経済活動の中から生み出された科学技術研究は、戦時下の日本の総力戦体制のもとで国家の機能と一体化していった。」
「第二次世界大戦の過程で引き起こされた社会体制の巨大な編成替え(電力・鉄道などの国有化、健康保険そして中央集権的官僚機構)が戦後日本社会の骨格をなすべき主要な要素の一つとしてそのまま保持された。」
「気象事業の一元化にせよ、電力の国家管理にせよ、食糧管理制度や健康保険制度の改正にせよ、軍と官僚機構による総力戦体制はそれなりに合理的精神に導かれていたのである。」
「実際戦時下のレーダー開発が戦後のトランジスタやダイオードを基礎とした電気通信分野発展の基礎となったことはよく知られている。電気産業では東芝、日立、松下はいずれも戦時下の軍需生産によって大きく成長した企業である。ソニーにしても母体はほぼ全面的に海軍技術研究所の人脈である。」
「日本は、高度成長とともに世界有数の技術大国になったが、同時に軍事技術の先進国にして潜在的軍事大国となっていった。」
「国家主義者にとって原爆保有は超大国の証であり、核技術と原子力発電の保有はそれに次ぐ一流国家のステータスシンボルなのであった。」
「東海村の施設と海外委託で生成された日本のプルトニウム保有量は現在すでに四十八トンに達する。かくへいきを1こつくるのにヒツヨウナプルトニウムは8キログラムとされており、日本は実に8000発ものプルトニウム爆弾を作るだけの材料を保有していることになる。」
「ウランの可採年数は、最大でも200年程度である。そのたかだか200年の原発使用で人間の近寄れない夥しい数の廃炉と、10万年単位で保管の必要な放射性廃棄物が何世代にもわたる子孫に大量に残されるのだとすればそれは子孫に対する配信というべきであろう。」

この明治150年の節目に、福島原発事故をきっかけにして、日本を支配してきた科学技術幻想の破綻を見る。ここに明治以来一貫して国家目的にしてきた時代の大きな一区切りがある。

なお、日露戦争で使用された無線装置の電源はGSバッテリーであったが、京都の鍛冶屋が起業した島津製作所の2代目島津源蔵が作った蓄電池だったという話と、乾電池は時計の修理工で東京物理学校の付属職工だった屋井先蔵が明治20年に作ったものが世界初であったという事実は興味深く当時の職人の技術水準の高さを感じる。

また、本書は朝鮮半島における巨大コンビナート建設と巨大ダム建設についても触れている。短期間でこれだけの施設を作るために植民地で圧倒的な権力を握っていた軍の力が強大だったとはいえかなりの犠牲を強いたことは事実であろう。

ナチスドイツが科学者とともに開発した兵器が多くの犠牲を生み、同様に科学者を使って原爆を開発したアメリカも広島長崎に悲劇をもたらしたのと全く同じ構造がこの日本にもあったことがよくわかる上に、戦後の大企業もその路線の上に成り立っていたことが明らかになっている。福島の事故が、これらの科学技術の終焉を表しているという著者の主張は明治150年という節目にあって象徴的である。

日本の科学技術史を振り返るのに最適な好著である。

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