「江戸の園芸」青木宏一郎著(ちくま新書)2007/11/02 07:33

本書は、江戸時代の植物を愛する豊かな文化を紹介している。

本書によれば、当時すでに今では復元不可能な様々な園芸植物が生み出されていた。たとえば、朝顔やカエデなどは非常に高いレベルに達していたという。

また、江戸は当時すでに100万人が生活していたにもかかわらず、森林が豊かな都市で、道路も、河川も清潔に保たれていたという。
 これは、「共有地の悲劇」を生み出さない仕組みや、廃棄物や糞尿も肥料として珍重していたように徹底したリサイクルの文化がそこにはあったのである。

 多くの文明が森林の破壊とともに消えていったことを考えるとこれは驚くべきことである。
 本書はこれからの持続可能な世界を考えていくにあたり、多くの示唆に富んでいる。

「コシヒカリ物語」酒井義昭著(中公新書)2007/11/05 21:56

いまや、銘柄米の代名詞であるコシヒカリ、先日のテレビ報道によると世界中で作られるようになっているという。

このコシヒカリが生まれた背景は、多くの偶然によるものだったというのは本当に驚きである。
 その生まれは、まさに戦時中。食味などは関係のない食糧増産が叫ばれていた時代である。

これが様々な紆余曲折の中から、生き残り、たどり着いたのが魚沼産コシヒカリである。

これを超える米はいまだに出ていない。
 今おいしいと言われる米も、コシヒカリの子孫である。

多くの発明や科学的発見などと同様、世界的な発明といってもいいくらいの出来事だったのだと感じた。

「古代文明と気候大変動」ブライアン・フェイガン河出書房新社)2007/11/10 12:58

本書は過去の文明が遭遇した数々の気候変動の歴史をまとめ、地球温暖化といわれる現代社会への警鐘を著したものである。

ここでは、多くの文明が、気候変動によって崩壊していくさまが、繰り返し述べられている。
 それらの事例の中では、アメリカ西海岸のチュマシュ族の章は、今後の我々の進むべき道として示唆的である。
 すなわち、干ばつによる食料減少に見回れたとき、多くの文明はその解決策を争いにもとめたが、彼らも当初はその選択肢を選んだもののその後は武器を捨てて、今日まで残る数少ない狩猟民族となったという。

 著者が最後に触れているが、歴史上の文明は、干ばつという危機に遭遇したとき、他に移動したり、侵略するなどして対応していたが、現代ではそうはいかない。
 地球温暖化と言う危機は始まったばかりであるが、著者の答えは悲観的なものに感じる。

また、多くの文明が1000年単位でゆっくりと進化してきたものである。それに引き換え、産業革命に始まる現代の文明はわずか100年程度である。
 今、われわれが遭遇している危機も、永い人類の歴史の中で、ほんの小さな出来事に過ぎないのかもしれない。

第9回緑・花文化の知識認定試験2007/11/11 22:20

 初めて受験しました。
 ある程度自信を持って受けたのですが…、80問中自己採点で51点。
 自分の知識不足を感じました。

 植物に関する興味を広げて、来年こそは頑張るぞ!

東芝REGZA2007/11/11 22:24

 長年愛用していた富士通ゼネラル製の29インチテレビ(文字放送対応の購入当時は機能豊富な機種だった)の調子が悪くなり、先月東芝のハードディスク付きの液晶テレビを購入した。

 これが、本当に使い勝手がいい。
・最新のニュースがいつでも見られる。(今すぐニュース)いちいち録画設定しておかなくても、常に更新されるところがいい。
・画像がきれい。本体内蔵のHDDビデオでも、ハイビジョン画質でほぼ丸1日分の録画ができるが、画質がきれいで普通の DVDやHDDレコーダーは見られなくなる。
・連続番組予約が簡単。

 単身赴任しているので、一週間分とりためたビデオを見ているが、見ていて飽きない。

 このようなHDD付きテレビにもかかわらず、値段は他のメーカーのHDDなしモデルと遜色ない。
 おすすめのテレビである。

「永遠の緑色」片岡義男著(岩波書店)2007/11/11 22:34

久しぶり。
 30年くらい前、オートバイに狂っていた頃に読みふけり、サインまでもらったことを思い出す作家である。

本書のはじめにこういう下りがある。
「地球環境と経済活動は両立しない。資源は減り、人口は増え、汚染は拡大する。絶望的な覚悟だけが頼りだ。」

本書は、バブル絶頂期の1990年に記された書物であるにもかかわらず、最近の地球環境を巡る諸問題をあたかも予言しているかのようである。

 「いままでどおり、地球は削り続けられるはずです。破壊も汚染も続くでしょう。そして、地球環境に関する問題は、国際政治と複雑に絡み合い、どの国にとっても最も重要な問題になっていきます。」  まるで予言者であるかのように。